学長ブログ:人生のサンプル100回あるなら

今回はテーマは人生のサンプル100回あるなら、いいなぁ。

・・・って、そんな身も蓋もない話ではなくて(笑)
そうではなくて、先に結論から言うと
「人生のサンプル100回ないのだから、たった1回の人生で何が正解なのかわからなくて当然。それは誰もが平等の前提なので、あの人が羨ましいとか、自分の判断が正しいとか誰も分からないんだよ」
ってことです。
例えば、私は子育ての最中でよく感じることが、
子供を伸び伸び育てたい中で、多少暴れたりしても許容した方がいいのか、ある程度の規律を教え込んだ方がいいのか、子供の将来にとって果たしてどちらがいいのか悩みます。許容した方が子供の可能性を狭めないだろうなと思う一方、他人に迷惑かけないようには規律も大事だしなと思うからです。とは言え、分からないなりに何らかの判断を下さざるを得ないので自分の判断軸に則って一応、判断はしますし、今までも判断してきました。
その際の判断は何を頼りにするかと言うと自分の経験や知識に頼るしかないのが現状です。
自分の経験や知識ですよ。
人生として1回ぽっきりの自分の経験や知識ですよ。
1回と言っても親になったばかりで人間としても、まだまだ成熟しきれてない自分の経験や知識ですよ。
ヒトによってはその1回の人生における自分の経験や知識で自信満々な方もいらっしゃるでしょうから、一概には言い切れないけれど、私は不安です。
なぜなら、その判断が間違ってるかもしれないからです。
もし、そんな時に人生のサンプル100回あれば話は途端に変わります。
上手くいった経験やイマイチだった知識を選び出して、最も確からしいやり方すれば、それなりに正解に辿り着けるはずですから。理屈では正解に辿り着ける確率は尋常なく上がるはずです。1回じゃわからないことも複数回すれば、色んなことが見えてきますからね。仮に100回じゃないとしても人生のサンプルは5回、10回でも構わないと思います。
でもね、人生は1回ぽっきり。
正解も不正解も棺桶に足を突っ込む時まで分からない。
誰もが一緒。
そして、生きていれば幾度となく、というか毎日大きいのも小さいのも含めて様々な判断を求められる訳で。
そもそもヒトは人生の波を簡単に乗りこなせないようになっているのかもしれないなと私が常々思う理由がここにあります。
誰もが正解わからない人生なのだから、他人の声はアドバイス程度に捉えて、
きっと自分の気持ちに正直に生きていいのだと思います。
人生の答え合わせは誰もできないのだから、自分の納得感を大事したいですねというとりとめもない話でした(笑)
でわでわ