学長ブログ:出来ることがわからないという苦悩

全国の学生が白川村に集まって、村のしごとを記事にする1週間の

ローカルワーク編集合宿の真っ只中。

バタバタしているんだけど、学生一人一人と話す機会もあり、

話していると、出るわ出るわ、溢れてくる悩み。

あー、自分も学生時代こんなこと思ってたかもと突然、懐かしさに浸ったり、

いやいや、学生の時代から自ら、色々な場所に飛び込んでて今の学生はすごいと感心してみたり、

心を揺さぶられる。

一方で、将来の相談もたくさん受けて、

自分の経験で伝えれる思いを全て伝えつつ、

次の企画に通づるインスピレーションを秘かに感じたりしてました(笑)

学生とのやりとりを通して感じた一端を備忘録までに記しておこうと思う。

僕は人生において、積み重ねこそがより遠いところに辿り着ける

唯一の方法ではないかということが最近わかってきた。

より遠いところに辿り着くために、より長い年月を費やせることが

仕事においても、趣味においても重要でないかと思ってる。

僕がアスリートのような生き方に憧れる所以はここにある。

この理屈ならば、社会で一般的に言われている『子供は無限の可能性がある』という

言葉にも頷ける。

単純に、より長い年月を費やせるからだ。

言い換えると、『自分はコレだというコトとの出会いは早いに限る』ということだろうか。

ところが、早くから誰もがコレだと思うことに出会える訳ではない。

というか、世の中の多数の人は出会えていない。もちろん、定量的なデータは

持ち合わせていないので、何の説得力もないかもしれないが、肌感で。

そんな中、昨日、学生たちと話してて、

「将来何をするか、悩んでいる」

「自分にできることがわからない」

という声を多く聞いた。

「自分が何者か探すことが決して悪い訳ではない。

きっと、その人にとっては定まらない時間が必要なんだよ。

その時間を本人が無駄と決めつけない限りはね。

いいじゃない、定まらなくたって」

とそんな話をした。

人はまだ条件が整ってないと言って、言い訳してやらない生き物だ。

自分にできることをわからないと何かができないと思ってる人は

いつまでも何もできないままではなかろうか。

できることがない。

ならば一旦、そんな自分を受け止めて、

できることがないなりに精一杯、

今の範囲でできることを探す努力をしないといけない。

すぐには差が出なくとも、やってる人とやっていない人では

いつか圧倒的な差になっている。

いつもすぐには報われない。

そんな簡単に物事は上手くいかない。

それが世の常というものだ。