【前編】人生に起こる全てのことは学びに収束する。だからこそ、学びの場づくりって一生飽きない遊びだと思うんだ。

前盛
皆さん、こんにちは!事務局の前盛です。

突然ですが、ヒト大学が始まって、なんともうすぐ3年目に突入します。あっっっという間に感じますが、振り返ってみれば、これまで随分と沢山の人たちと一緒に、生き方・働き方について考える場を持ってきました。

講座の様子

「よりよく生きるってどういうことだろう?」「 “本質的な学びの場” ってどうやって作っていけばいいんだろう?」と、常に見えない答えを模索しながら、実験と思考を重ねながら、日々目標をアップデートし続けながら活動してきた2年間だったように思います。

今年に入ってからは、新たな拠点が増えたり、新規事業に挑戦したりと、ゆっくりゆっくり、じわりじわりと、輪が広がってきた実感も出てきて。この機会に改めて、自分たちのスタンスや、描いている未来を皆さんと一緒に確認できればいいなと考えました。

そこで今日は、「そもそもヒト大学って何?」というところから、私たちが目指している世界についてなど、学長の柴原に話を伺いながら、言葉に残していこうと思います。

日頃から関わってくれている方々にも、遠くから見守って下さっている方々にも、ぜひ最後まで読み届けてもらえると嬉しいです。

前盛
それでは早速、柴さん、よろしくお願いします!
柴原
はい、よろしくお願いします。いつものように、ゆるい感じでいきましょ。

はじまりは、サラリーマン時代に「生き方や働き方に悩む若者の手助けがしたい」と思ったこと。

 

ー そもそも、ヒト大はどうやって始まったんでしたっけ?

たしか始まりは、俺とよもぎちゃんの「都市部の若者と過疎化する地域を繋ぐことで、何か楽しいことが起こるんじゃないか」という感覚が重なったのが、キッカケだったよね。

俺自身は、白川村で地域おこし協力隊をする前は都市部の大手企業で普通にサラリーマンをしていて、リクルーターとして大学生と関わる機会があったんだけど、一生懸命 就活をして入社してきた新卒の子たちの3割が会社を辞めてしまうというニュースを知ったのが、多分原点になっていて。

本気で頑張ってる若者たちが、自分に合った場所に出会えないことや、マッチングが上手くいっていない状況を、勿体無いと感じてたんだ。

ただ当時は、何とかしたいなと思いつつも、それを解決するための手段が何なのかは、想像ができなかった。

その数年後に、会社を辞めて白川村で地域づくりの仕事を始めたときに、空き家のリノベーションワークショップに都会の学生が沢山来てくれたのを見て、びっくりしたんだ。

「ああ、田舎でもコンテンツが面白ければ若者はやって来るんだ。新たな時代の生き方を模索している若者にとって、地域という場所は注目されて来ているんだな。」って改めて実感したんだよね。

当時「大ナゴヤ大学」とかソーシャル大学の存在は何となく気にかけ始めた頃で、「面白そうなことやってて羨ましいな〜」くらいに思ってたんだけど、そんなタイミングで村の教育委員会から「教育施設として使ってる合掌家屋をもっと有効に活用したいんだけど、柴原さん、なんかいいアイディアない?」って相談を受けてさ。

若者が自分らしく生きる手助けをしたくて手段を模索していた時に、タイムリーに教育方面からの話がきたから、自然な流れで「あ、それならこの合掌家屋をキャンパスにして大学作ったらいいかも!」って思ったんだよね。

ソーシャル大学という箱なら、地域内外の色んな若者を受け入れられるし、「学び」という名目で、村をフォールドにどんな挑戦でもやれちゃうなと思ったんだ。

ー  なるほど。

当時、確か私も「白川村で若者会議をやりたい」と言っていた頃で、地域の大人の学びの場を作ろうとしていた時期でしたね。

村には、属性に関係なく自由に大人が集まれる場所とか、何かのテーマについてわいわいポジティブに対話できる機会が少なかったから、寂しいなと感じてた。

もっと誰もが気楽に発言できるような、お互いの意見に耳を傾けあえるような、柔らかいコミュニティが地域に必要だなと感じていました。

 

そうそう。俺も、小さくてもいいから地元の人が趣味について語り合うイベントとか、村の政治について考える意見交換会とか、読書会とか、地域課題についての勉強会を、開催したいと思ってた。

ー  大人の学校のような、多様な人が繋がって、互いの悩みを解決していけるような場を作りたい、という思いがヒト大の活動の原点になったんですね。

社会的な価値を生み出すこと仲間を増やしていくこと経済との両立を真剣に考えていくこと。

ー そんな始まりから2年。活動を続けてきて、手応えはどうですか?

小さな活動を積み重ねて来た上で、最近感じているのは、全てのことは学びに収束するということかな。

日々の暮らしだったり、仕事だったりも、学びの一部でしかなくて。文字を読んで勉強するだけが学びなのではなくて、人生に起こる全てのことが学びだと思うから、本来大学というのも、もっとアプローチが自由でいいと思うんだ。

だからヒト大も、型にはまらず、広い意味での「学びの総合デパート」みたいになれたらいいなと思ってる。

座学の講座もあれば、働きながら学ぶプログラムがあってもいいだろうし、田舎の暮らしを丸ごと学びにしちゃってもいいし、1人1人の目標に合わせた実践的なサロンとかも必要だろうし。

そして、そんな学びの場を作っていくために必要なのが、ヒト大をより社会的に価値が通用する教育の場に変化させていくことや、仲間を増やしていくこと経済との両立を真剣に考えていくことだと思ってるんだ。

例えば、ソーシャル大学でもきちんと通常の大学と同じ単位が取得できて、目に見える社会的な評価を得れるような仕組みにしたり、ほかの地域にも拠点を増やすことで関わる人を広げ「ああ、ヒト大出身なんだね!」って当たり前に世の中で通用するようにしたり、他拠点で連携することでお互いのノウハウを活かしあったり、ヒト大のコミュニティから新たな仕事・雇用を生み出していったり。

そうすることで、離れた場所にいる人からもちゃんと価値を感じてもらえて、この場に飛び込んできてくれた人の未来はもっと広がりそうだよね。

答えが分からないからこそ楽しいし、飽きずに続けられる。

 

ー 将来的にヒト大が目指しているところ、描いている世界は、どんなものですか?

うーん。最終的なゴールはまだ見えてないよね。ヒト大に関しては、最初から思わぬ方向にしか動いていってないし(笑)

でも、それでいいと思ってるんだ。

その柔軟性こそが、今の時代の「学びの場」には適しているのかもと感じているから。

次のレベルの挑戦というのは、今見える課題や目標に1つ1つ取り組んでいった先に待っているんだということもよく分かってきたし、今はそんな地道な歩み方のほうが、自分たちに合っていると信じられるようになった。

最初の頃は答えが見えないことに不安もあったけど、3年目にもなると一緒に面白がってくれる仲間が随分増えたし、少なくとも自分の1人よがりな活動ではなかったんだな、と自信を持てるようになってきたんだ。

それに、最初から正解がわかっちゃってると、俺は早々に飽きちゃう(笑)

人間の仕事でロボットに取って代われないものって「着地点が決まってないこと」しかもう無い気がするからさ。

ー  確かにそうですね。自分たち自身が飽きずに楽しめる状況を継続的に作っていくことは、とっても大事なことだと思います。

柴さんは、「学び」って、どういうものだと思いますか?

う〜ん。学びは、人間が生きる上で必要不可欠な「成長」に 直結する要素だよね。

人間って同じところにずっと居られない生き物だから、昨日できなかったことが今日できるようになったとか、進化できたと感じた瞬間に、満足感を得るもので。

どれだけ勉強し尽くしても、どんなポジションに上り詰めても、きっと学び足りることはなくて、新たに知ることを求め続けるんだと思う。

基本、人間って面倒臭がりだけど、やっぱりダラダラしてばっかいると、自分の時間の使い方や生き方に疑問を感じてしんどくなってしまうものだから。学びは生きがいでもあって、それがないと、惰性で生きているような感じになっちゃうんだよ。

生きてる以上、「学ぶこと」からは逃れらんなくて、だからこそ「学びの場」づくりってのは、人間の暮らしがある以上はずっと無くならない遊びだと思うんだ。

愛車のホワイエ号と。

 


 

この記事の後編はこちら。これからの活動の展望について語っています。

【後編】誰もがありのままに、人間臭く生きていける世界を作りたい。

2018年7月15日