こんにちは。八重山ヒト大学ライターの宇根和孝(@unekazunari)です。
今日は、今年で成人を迎える妹に向けて、
僕が生きた20歳までの人生
20歳を過ぎてからの生き方と攻略法
島に帰る理由
を書こうと思う。
3つしか年齢は変わらないが、3つも変わる。
公開文通みたいな形にはなるが
これからの八重山を担う君達へ、少しでも参考にしてもらえれば幸いである。
▼目次
- 自己紹介
- 農業の6次産業化
- 産業を強くしたい
- 八重山で仕事をするということ
- シガラミさんの攻略法
- 仕事を作る
- 親の夢、子どもの夢
- この時代の攻略法
- AI→BI→CI
- 僕が描く未来
- これからを担う20歳、そして妹へ
- 最後に
自己紹介

僕は沖縄県石垣市字新川で育った。
小学生から野球を始め、高校まで続けた。
八重高8回2死無塁から大逆転された年代と言えば伝わるだろうか。その時に呆然とグランドに立っていた1人だ。
実家が兼業で牛を飼っていたこともあり、「農業っしょ!」ってことで東京農業大学に進学。現在は米カリフォリニアで牛飼いしている。
農大を志望した理由、島の事、仕事の事、ぼんやり描いていた未来、現実味を帯びてきている感じを伝える事ができればなと思う。
農業の六次産業化

6次産業化と言う言葉を聞いたことがあるだろうか?
1次産業(農林水産業)
2次産業(加工業)
3次産業(流通販売業)
農業を主とした3つを足した数ではなく、掛け合わせたものを指す。
具体例でいうと、伊盛牧場さんが手掛ける「ミルミル」みたいなもの。(卒論製作の際にお世話になりました。ありがとうございます)
牧場(1次産業)
ジェラード加工場(2次産業)
ミルミル店舗(3次産業)
僕はそのワードに惹かれるように東京農業大学のビジネス学科に進んだ。
基幹産業である八重山の農業(畜産業含む)に携わることができればと思っていた。
結論から言うと、農業の6次産業化は決して簡単なものではなかった。
簡単ではないと言うのは経済的な部分で2次産業に参入するまでが容易ではないと言うことと、そもそも1次産業者が二刀流または三刀流で他産業のプロと同じ土俵でやれる能力があるのか、否かである。
そう言った背景がある。
いわゆる「農業の6次産業化」といのは経営のプロが行えている至難の技である。
産業を強くしたい

六次産業を勉強する上で、それぞれの産業を知る必要があった。それぞれの役割、仕組み、なぜやるのか、やらないのか。
今の石垣島の主産業は農業と観光業。
強い農業を作るには、ここを知らなければいけなかった。
現在は観光業がピークを迎えているが、産業同士で相乗効果を生み出せているのかは「八重山のヒトの声」を聞けば分かると思う。
観光客の増加
住民の生活
そのギャップが大きくなりやっと気づいてきたところだろう。
観光客増加による経済発展には難しいところがある。それを島民がコントロールできないというところにも一番の課題があるのではないだろうか。
まあ、愚痴ばっかり言っているように聞こえるが
課題が多い=発展途上
という意味だ。
チャンスはいくらでもある。
東京、アメリカで生活していても八重山地域の事を羨ましく思う。いつか帰って、生活できれば幸せだなと思っている人がどれだけいるだろうか。
理想と現実のギャップに難儀している人もいると思うが、
安心して欲しい。
『僕はまだそれに気づいていない。』
ずっと夢を見続けている。
机上の空論を立て、まるで成功するような口調で話していくがお付き合いいただければ幸いです。
八重山で仕事をするということ

いきなり批判から入ったが、僕はこの島が大好きで、島で生活する為の戦略をガチで考案している。
僕が、感じるメリットとデメリットを紹介しよう。
メリット
(1)ロケーション
(2)アクセス
(3)コンテンツの多さ
(4)自然の豊かさ
(5)文化、芸能、の多様さ
(6)参入障壁が高い
それぞれ解説していこう。
⑴に関しては、海外から見て思う。トロピカル&ジャパンクオリティ!
アドバンテージ。もうここに生まれた時点で勝ち。以上。
⑵は3つ
→日本列島orアジア地域からアクセスが容易になった。
→島内(小さい為、1時間もあれば南北に行けるほど利便性)
→地域内(フェリーでアイランドホッピングできる)
⑶コンテンツ
自然 海、山、畑、星空
食べ物 肉、魚、薬草、作物 果物
サービス マリン 島巡り 料理
文化 芸能
等。十分勝負できるものはあるし、まだまだ埋まっているだろうし、これを英語、中国語を通して再確認するような事もやっていきたい。
⑷少し重なるが、食料を自給できるというのは、長期的に見ていい。世界的に見てもこれからは食糧不足に陥る。水、魚、果物、野菜、粗飼料、等を自らで生産できるという点で強い。
⑸隣村で言葉、行事が異なる。
唄、三線、踊り、豊年祭、伝統芸能は語る事さえできない程の奥深さ。
⑹これは大きいと思う。
小さなコミニュティでは「島育ち」と言うだけで、何処の人か分からないよりかは信頼される。何より地元民は内地に対していい感じはしていない。
内地企業でのインターン時に事業提案で島を訪れた事があるが、僕を一枚挟む事で信頼をしてもらえた経験がある。
デメリット
それらを踏まえた上で、僕らがこの島でやりたいと思うことにあとひとつ懸念があるとすればそれが
『シガラミ』
といものらしい。
これはメリットにも捉えられるが、どうやら『シガラミさん』がいるらしい。
川平の宇根です。新川の真玉橋の孫です。と言えば、だいたい通じるほどコミュニティが小さい。
それが、この島の良さでもある。
ネガティブな部分を挙げるとすれば、何かすることに対して「出来るフージー」とか、「出る杭現状」みたいのがあるらしい。(僕はあまり感じたことがないが)
まあ、そんなもんコミニティではどこにでもありうるものだ。
その『シガラミさん』を感じないように無意識でやっていた事をあたかも知っていたフージーに書こうと思う。
シガラミさんの攻略法

少し話は長くなるが、
この記事見てたら遅刻した。
と、言い訳に使ってくれ。
死を意識した18歳
僕の父には兄がいたと聞いたことがある。20歳(父は小学生)で農作業中に事故でなくなったと。
若いままの遺影は僕にそっくりで
「父親の兄とあんたとやることが一緒さ〜」
と、高校時代に三線を持ってきて弾いてみたり、いきなり農業をやると言い出してみたりと重なる部分がいくつかあった。
「機械には気をつけろよ」
という言葉の裏に、「20歳で俺死ぬのかな?」と冗談混じりで意外と真剣に考えていた事もあった。
20歳まで一生懸命生きるか。
結論はそうなった。
んじゃ、せっかく内地にきたんだから日本を回るか。と、
時間ある×金ない×旅行したい=
「ヒッチハイク」
という最強の方程式が生み出され、即決行。
大学1年時の春には「用賀IC」でスケッチを片手に車を待ったのを覚えている。
夏に植えた「島らっきょ」が届いていたので乗せてくれた方へお礼にと配っていた。
約2週間のヒッチハイク生活。
車内では石垣島トークが行われ、八重山地域を知らない人には1から教えていたので運転時間はあっという間だった。
次アメリカ行くか。
「日本回った」→「次、海外」→「海外=アメリカ」
今回はこういう式。
2年時の夏(19歳)に渡米。
これ欲しいですの英語「Can I get」も知らずに、旧友だけを頼りに。
それを機に、インドネシア、中国、オーストラリア、フィリピン2回、タイ、ラオスにも行った。
ポジションを取れ!
よーし本題!!
話を戻すと。
島で新しいことがある→やろう!!
というのは凄い厚かましいと感じられ、よく分からないそのシガラミというものがあるらしい。
今は全く感じず、みんな仲良くしてるし、「そんなのないだろ!」と思うかもしれないが、僕もそう思っている側だからまだ実感が湧かない。
でも、島に限ったことではないと思うが、「当たり障りのない関係」をキープすることが、生きていく為に必要な能力だとこの日本全体の空気感を多少ながら感じることができるかもしれない。
変な奴になれ
周りのことなんて全く気にならないぜ!
ってやつは、もう変なヤツだ。いいぞ。
でも、これは超小心者でなるべく波を立てずに物事を進めることが得意な僕の経験から言わせてもらう。
僕は20で死ぬと思って以来、やり残したことがない様にと色んなことに手を出していたと思う。
ヒッチハイクで日本を縦断したり、海外に行ったり、潰れるまで飲んでいた。(全て当てはまる人、友達になってくださいw)
こいつはなんかやらかすな
そう思わせたら勝ちだ。
僕は意図的にやっていたら自分を褒めたいぐらいだがそこまで器用じゃない。
だか、迫り来る「死」が僕を自由にさせていた。
これを
「死」絡みさん
と呼ぼう。
要は、何か新しいことしようとした時に
こいつまた変なことしてるな
ぐらいで、いい意味で狼少年みたいになるのがこの島では良いともう。この記事もその布石に過ぎない。
死ぬぐらい熱狂すればいい。
だから、将来的に島に帰って何かやりたいと考えている人がいればオススメだ。
自分から発信すればいい。
少なくとも僕がみるだろうw
仕事を作る

22年間生きてきて気づいた事がある。
何かに行き詰った時、考えが必要な時
そのヒントは歴史にある。
探るツールとして本やネットを活用できる。
僕は2017年に
1年が10年ぐらいに感じた経験
をした事がある。
10、20、50年後の自分をイメージした。そして計画を実現する為に日本の歴史や仏教にヒントがないかと
過去と未来を行き来するタイムスリップ
を頭の中でやっていた。
そして気づいた。
僕はどうやら『百姓』になりたいみたいだ。
”百姓=百の仕事をこなせる人。
つまり、そういう精神性があるということ。”
確かに、江戸時代の人々は今の便利な時代と比べて、身の回りのことはある程度自分達で出来てしまうことが確実に多かったんだろうと思う。
時代によっては定義は異なるかもしれないが、なりたい自分に近いものに言語化できてホッとしている。
農業の6次産業化に惹かれたのも頷ける。
色んなことに興味があり、色んな事を手掛けたいと思っている人は何になりたいかと聞かれたら「百姓」と答えると良い。
変わったやつだと思われるかもしれないが、これも変な「シガラミさん」から免れる1つの方法かもしれない。
結論、
仕事は
いかに物事を抽象的に捉えて、八重山に適した形で具体的に考えれば意外とチャンスは転がっていた。
面白い時代に生まれたと思う。
今は時代の変化が早い、親だけでなく年代でも大きなギャップを感じる。
でも、そこを詰めれるのは僕ら年代にしかできない事だと思う。
2020年には島に戻る。
その時に話そう。
親の夢、子供の夢

今の時代は流れが全く読めない。親が生活していた若い時代と僕らの若い時代は明らかに違う。
仕事のあり方も変わりつつあるし、世の中の状況も大きく異なる。
そこのギャップを埋めるのが難しい。
「お前は何になりたいんだ?」
「将来の夢は?」
成人の年は、この質問を投げられる機会が幾度となく来る。準備しておけ。
将来は教員に。
柔道整復師、介護士、etc。
20歳で、「なりたい自分」が決まっているのは稀なことだろう。(決まっていたら素晴らしい!あとはやるだけ!)
僕は少なくとも決まっていなかったし、そういった人も多いと思う。
社会人、大学、専門学校。
18歳で島を出て、あっという間に2年が経ったのではないかな。
こっからの2年が君の人生を大きく左右させる。
もし、やりたい事があるけど、、、、、。
「親がなんていうか分からない」という人のために僕の経験をシェアしよう。
親との問題(攻略法)
将来のやりたいことに向かってスムーズに進めていくに必要不可欠な事がある。
それは
親の理解だ。
これまで育ててもらった親に対して
「これは俺の人生だ」
と反発するのは簡単だが、仲間にした方が目標達成の可能性を広げるだろう。
僕は、今でこそ百姓という名称(これも理解され難いが)があるが、
「どんな仕事につきたいか?」という質問に答えるのがとても難しかった。
時代背景から、僕は1つの職業に依存するというのはリスクにも感じている。
ただ、それは親からすれば何を言っているのかわからない息子にしか写っていなったようだ。
両親は先生と公務員という名の「職業」についていたから、非常に説明するのに時間がかかった。
なりたい職業よりも
「何をしたいから」→「何」になる
という順番を踏まえた上で、じっくりと相談した。
最初は全く通じなかった。時代が変われば、共通言語も変わる。
同じ日本語を喋るのに通じないのは最初はびびった。
というか、本気だとは思われていなかったと言う方が正しいだろうか。
まずは姉に相談した。
理解を得た上で、さらにプロの意見も聞きに行った。
数字で示し、今後の可能性を謳い続けた。
結果的に、
親がやりたい事を引き出し、それを実現する為の点の1つ
という形で親を丸め込んだ。(事業内容は話せば長くなるので、割愛したい。)
要は親の夢と子どもの目標をマッチさせた形だ。今では、親から話を振ってくるくらい楽しみにしている。
これが
「我が子を応援しない親はいないだろう作戦」
である。
僕らは一生彼らの子供だ。
そして今、僕は家族内で
「またこいつ変なこと言っているな」
程度で、何言っても特に驚かれない。
これも伝えたい
親が考えている事=君が考えていること
ではない。
何か考えているものがあれば早めに擦り合わせを行う必要がある。
理解されず、困った状態になるかもしれない。
それでもやりたかったら本気で説得しているだろう。
親を納得させるツールを作っておけ
親を説得する上で役に立ったツール(道具)がある。
それは僕の場合『教員免許』だった。
学校成績が親を納得させるツールであるように、今回のケースはそれが教員免許だった。
親が言う「職業」と言うものに最低でもつきます!みたいな保証がないと、親も納得しない。
世代が違えば価値観が違う。
ただ、それを時代のせいにしていると話が進まないから
世代の共通言語で商談する必要がある。
この時代の攻略法

端的に言うと
モノ、コトを持つ事が強い時代だ。
現代では、グローバル化が進みワンクリックで欲しいものが安価で手に入る。
そう言った便利な時代になった。
これまでは、商品を作る側より流通できる側の方が強かったが、それをインターネットが大きく変えた。
今更インターネットがなんだと思うかもしれないが、
スマホを使って10年でここまで劇的に世の中が変わると考えたら10年後はどうなっているのか全く予想もできない。
話をもどすと
今は、生産者が自ら販路を作り出せる時代になった。
例えば
農家なら農作物や果物、ダイビングやレンタカーのサービスなど。
農協、旅行会社と組まなくても自ら売れるようになってきた。
と同時に
情報や技術が共有されるようになってきていて
どのサービス(野菜や服や飲食店)も「安価で良いもの」になってしまう。
と言う、現象も起きている。
要は、提供する側の質の差がなくなってくるようになる。
じゃあ、モノを選ぶ基準はってなったときに
「誰が作ったか」
になってくる。
個人が力を持ち始め、モノやコトが評価されるのは会社ではなくなってきている。
企業のCMではなく1個人の評価をみて、購入を決めた事がある人は理解がしやすいと思う。
そして
今はモノ消費から、コト消費へと変わっている。
モノは手に入りやすくなり、車や家はシェアできる時代になった。
だが、経験(コト)は自分が求めるもの、財産として残っていく大事なものと感じる様になってきている。僕もその一人だ。
何にお金を使うかが変わってきている。
そう言った時代背景を考えると
八重山という地域は凄い可能性を秘めていると思う。
インターネットは、繋がりを作ったが同時に孤独にもした。
スマホを覗けば、ある程度の情報が手に入る。
だからこそコトという「リアル」を求めるようになる
メリットで挙げた、
コンテンツ
がすごい価値を生む。
これからは高齢化も進みネガティヴな意見が聞こえるが、逆に沖縄では強烈なおじーおばーが増えると言うハイヤヒヤササ状態が出来上がるというのも実は楽しみにしている。
世界が羨む島
土地持ちの長男がいれば伝えたいが、使えないと思って、自分の大事な土地や資産を活用せずに眠らせていないだろうか。
その土地は先祖が代々と守ってきた賜物だ。
目先の利益に惑わされて手放してしまうなんてことは決してしてはいけない。
あまり実感はないかもしれないが、世界人口増加に伴い農地というものは生産物を生産できる土地として非常に重宝される。
僕らは、そんな島に生まれたのだ。
小さな島で、何もないかもしれないがそれは気づかないだけであって世界中が羨ましいと思うほどの場所だ。
BEGINのにーに達も歌うように
教科書どころか、スマホでも覗けない大切なものがこの島にはある。
空の問題、海の問題。
複雑な事柄が多い。
だが、先人が唄に乗せたように
深く知り→伝える
これが我々の宝である「こども達」にしてあげることではないかなと、感じている。
共に歌い続けていこう。
AI→BI→CI

僕が感じるナウい事を書こうと思う。
これから島を拠点になにかやりたいと考えている人の参考になれば幸いである。
AI→人工知能
BI→ベーシック インカム
CI→コミュニティ インダストリー
これが今の時代の流れだ。
要は、AIが代わりに仕事をし、BIが最低限の生活費を保証してくれることになる。
聞いた事があると思うが、意外と近い将来の話になってくる。
*ググって貰えると助かる。
そして、Cはあくまで僕の予想である。w
でも、情報が溢れるこの時代はコミュニティをいかにして作り上げるかが重要になってくる。
サロンなどが今の流行りだろう。
コミュニティ
島はまさにコミュニティの塊だともう。
青年会やモアイもあれば、スポーツも盛んだ。
飲みにティと称される事もあるだろう。
(早く参加したい)
良い面もあれば、もちろんそうでない面もあるだろう。
新しいコミュニティに入ることで信頼を得る事ができる反面
1つのコミュニティに依存しすぎるのは時に面倒臭くなるときもあるだろう。
ここで言う
コミュニティは生活するにおいての重要性と言う観点説いていきたい。
心の拠り所
コミュニティというのは環境であって、郷に入れば郷に従わなければならない。それは普通のこと。だが、その環境が意思決定において重要な要素になり得る。
危険と思うのが1つのコミュニティに依存し続ける事。
ここでやっていかなければダメだ。
みたいな精神状態で自分を追い詰めすぎて過ぎるのだけは避けて欲しい。
「ダメだったとしても、あそこに帰れば良いと」
思える心の拠り所を作っておくべきだと思う。
それはリアルでもオンラインでもできる時代になった。
客観視する事で、適した判断をできるというメリットもある。
このヒト大学もそれに近い存在になり得るかもしれない。
選択肢の1つとして八重山
今はアメリカに住んでいるが、一番感じるのは
「意外とどこでも生きていけるな」
という事。
ここの人は自由で、日本人ほど真面目に仕事をしている感じはない。仕事を楽しもうよって感じだし、路上パフォーマンスで生活しているバイオリニストも知っている。
ダメだったときには、こうやってでも生きていける。
そう、伝えてくれているようだ。
世界中どこでも生活ができる環境の中で
「八重山を拠点に生活をする」
という「選択」を僕は楽しんで生きたいと思う。
僕が描く未来

僕が島に帰る理由として
「学生時代を共に過ごした仲間とまた島を盛り上げていく」
みたいな環境が作りたくて、
ただ、課題感として
「仕事がない」「稼げない」
みたいなイメージがある。
じゃ、それを思いっきりぶっ壊してやりたいなと思って。(自信たっぷり実績なし)
やる過程を楽しみたい
僕は勉強が得意じゃないし、ずっと遊んでばかりの生活を過ごしてきた。
高校時代は定期テストはいつも誰かと勝負していた記憶がある。
と言うのも、勉強自体は楽しんでないけど、競っている環境が楽しかったし、勝負しているからモチベーションが常に高く維持できた。
仕事も作る段階から楽しみたい
似たような感じで言うと、
学生時代に学園祭作るノリで仕事したいなと!
なんか、見返りとか考えずに本気にやってた頃が面白かったし、そんな興奮が大人になってもできればなと。
もちろん、生活があるし責任が伴うから簡単にはできないと思うが、そこのバランスも今後考えていきたい。
実現に向けて、「決済権を持つ人」が増えればいいし、
リスクも勿論あるけど、それも楽しもう!
みたいな雰囲気にすることが第一ステップになりそうだ。
僕は余生を生きる
さっきも述べたが、僕は冗談でも20歳で死ぬと思っていたし、おそらく何も知らなかったから20歳で死んでも後悔しなかったと思う。
でも、まだ生きているし
生きるなら、少しは自分の為に、そしてちょっとだけ誰かの為に生きてみようと思う。
自分の好奇心に素直に生きてみようと思う。
そして
知りたいこと、知らないといけないことが増えた。
知ること
先日、牛を一頭亡くしてしまった。
牛に良かれと思って、トレイラーに餌を入れ牧草地まで運んで設置した矢先、首が挟まって窒息死していた。
回避できたかもしれないが、僕が無知が故の結果だ。
僕がもっと知っていれば。
知識の無さが生んだ勘違いとその優しさが故、誰かを傷付けてしまうこともある。
まさにその言葉が胸に刺さる。
冷えた猫を電子レンジで温めて死なせたり、チョッパーが病気を治そうと毒キノコで恩人を殺してしまったのもそうだ。
ワガママな優しさは大切な人をも傷つけてしまう。
動物、自然、海、人、国
全てに共通することだと思う。
勉強ができなくてもいいが、優しくなるには勉強をしないといけない時がくる。
優しくなる為に、知ろうと思うようになった。
少し知ることでこの世界が面白く感じた。
日本、沖縄、八重山にもっと優しくなろうと思った。
これからも知ることを続けていこうと思う。
具体的な施策
これを話せば、卒業論文より長い記事になりそうなのでやめておく。
大まかなくくりだが
「農業」「民泊」「観光」
をハックして、あとは興味のあることをやっていこうと思う。
共通の関心があるヒトがいれば一緒に語ろうじゃないか。
これからを担う20歳、そして妹へ

成人おめでとうございます。
こうやって振り返ると、成人を迎えたのが3年前と思うと僕も歳をとったなと感じる。
平成も今年で終わりを告げ、「18歳も成人」と法律が改正されとなり、時代が一気に変わろうとしているのは君達も感じているだろう。
これからは君達の時代だ。