「僕らが旅に出る理由」八重山ヒト大学という名の旅のはじまり。

石垣島よりこんにちは。

八重山ヒト大学の玉城亜良たましろ つぐよしです。

 

今回、私がヒト大学に参加することになったいきさつを、書いていきたいと思います。

 

 

よもぎさんとの出会い

はじめのきっかけは、今年の春、海外生活の経験があるうちの奥さんを、学長のよもぎさんが訪ねてきてくれて。「今度こういう事を始めるんですが、よかったらコラムでも書いてみませんか?」と。

 

そこで、どういう流れか、私も同席することになって。

 

よもぎさんは、ヒト大学メンバーでもある青木さんのInstagramの投稿で去年チラッと見かけてたので、「本物だー。」という気持ちと、その投稿だけではなかなかピンとこなかったよもぎさんの普段の活動内容にすごく興味をもちました。

 

よもぎさんのブログ 「やちふち日記」

 

後日、たまたま見かけたFacebookのよもぎさんのアカウント経由で、よもぎさんの赤裸々に書かれた個人のブログとか読んで感銘しまくって。

 

なので、八重山ヒト大学が動き出すのを石垣で密かに楽しみにしていました。

 

9月になって、よもぎさんから、「石垣帰るので、ちょっとお話しする時間ありませんか?」という連絡をもらって。

 

「奥さん無しで、俺だけで大丈夫ですか?」って確認したんですけど。

 

そこで、「一緒にヒト大学やりませんか?」というお話を頂いて。びっくりしたんですけど、こうやってお誘いされる事も今までの人生の中であまり無かったので、単純にうれしくて。ヒト大スタートまで時間も迫っていたので、その場で返事をしました。

島を出て、都会へ。

 

ここで自分の20代を振り返るんですが、高校を卒業して、大学の進学が決まって、意気揚々と島を出て、すごく東京の生活は楽しかったんです。石垣はたまに帰る場所でよくて、戻って生活する場所ではないな、とずっと思っていて。

 

ただ、大学に入って都会の生活に浮かれまくったんですけど、あまりキャンパスライフは自分にフィットしなくて、やめて働きたいなと思って、親戚を頼って大阪に行きました。この時点でも、石垣に帰るという選択肢はまったく浮かばなくて。

 

大阪で生活を始めて、仲の良かった同級生以外にも八重山の先輩も後輩も関西には沢山いたのは知ってたんですけど、あえて交わろうとはしなかったんですよね。わざわざ大阪まで来て、八重山の人で集まらなくてもいいじゃないか、先輩後輩の付き合いとかめんどくさいよ、と。だからといって、大阪の友達が沢山出来た、というわけでは全然なくて。

 

 

仕事して、終わったら1人で好きな事して、週末になったら街に出かけて、たまに同級生と集まって。その繰り返しで。

言葉にならないモヤモヤが飛び出していった感。

それが、26か27歳くらいの時に、何かが弾けたのか、もっといろんな人と関わりたいなと思い始めて。今振り返ったら、ですけど。その頃は、もっと言葉にならないモヤモヤが飛び出していった感じで。

 

とりあえず、なかなか疎遠だった関東や沖縄本島の友達に自分から会いに行ったりして、リハビリして。

 

同じくらいのタイミングで、大阪に石垣のバンドが来てるライブを観に行ったりして。

 

元々音楽のライブに行くのは大好きで、自分の好きなミュージシャンだったら、余裕で1人でどこへでも観に行ってたんですけど。それまでは、石垣のミュージシャンを見てても、どこか自分の好きな別のミュージシャンと比べて、垢抜けないなーとか、音楽的に全然魅力無いなーとか思ってて、全然観に行ってなかったんです。

 

 

それがある夜、同級生に誘われて久々に観に行ったら、そのライブがすごく良くて。メンバーが全員鼻水垂らしてそうなバンドなんですけど。自分の観る目が聴く耳が変わったのか、そのバンド自身が変わったのか(以前にも何回か観たことあったので)。すごく新鮮に感じられたその夜の事は、今でも忘れられなくて。

 

そこから、ちょっとずつちょっとずつ、何かが変わっていって。

 

石垣のミュージシャンがライブをしに関西へきたら、行くようになって。昔やんちゃしてただろうなと思わせる2人組だったり3人組だったり。兄と弟とそのいとこが組んで、音楽やるよりも合間のMCが長いグループだったり。いつも風船ガム噛んでそうな3人組だったり。五目ラーメンばっか食べてそうな人たちだったり。

何もないって思ってた自分たちの島だけど。

そうしたら、石垣の先輩や後輩と知り合うようになって。そしてその後輩から、宮古島の人が働いていて、宮古島の人がよく集まるような店も教えてもらって。宮古の友達も出来て。

 

 

そこで出会ったある先輩が、ある夜呑んでた時に、

 

「自分も都会が大好きで、石垣に帰ろうとは思わないんだけど。でも今の石垣で、同級生や後輩達が戻ってきて、いろんな面白いことを始めてるんだ。」と。

 

「何もないって思ってた自分たちの島だけど、県外から見たらすごく恵まれてるあの環境を、逆にすごく利用して、いろんな人を呼びこんで、いろんなことをおっぱじめてて。」と。

 

その時の話が、自分の中ではすごく刺激的に感じて。そこからちょっとずつ、今の石垣に興味をもって。月刊やいまを年間購読し始めたり、友達の友達で石垣に戻ってきた人のブログを読み漁ったりして。

そして、石垣へ。

他にもいろんなきっかけやタイミングが重なって、2011年2月末に、仕事もろくに探さないまま石垣に帰ってきました。

 

で、石垣に帰ってきたら大阪で知り合った先輩や後輩を経由して、自然といろんな出会いが沢山あって。年が近かったり離れてたりする同じ八重山出身の人と大人になってはじめて知り合ったり、移住してきた県外や島外出身の人たちと出会ったり。

 

すごく面白い毎日が続いて、石垣に戻ってきて後悔した、なんて気持ちは1mmも感じる間も無く、今日まできました。

 

 

で、そんな10年以上前の20代の自分に、八重山ヒト大学をぜひ紹介したいなって思ったんですよ。千花さんやはづきさんのインタビュー読んで、何か感じないのか?って。

 

「八重山が大好きで、戻ってきて何かやりたい」って人だけじゃなくて、「八重山に帰っても何も無い毎日が待ってるだけなんじゃないか?」と思い込んでたあの頃の自分のような人に届けたいな、と。

 

なので、なんとか面白いことをこれから八重山ヒト大学でやっていけたらいいな、と思います。「いま八重山にいないのって悔しいな。」と島外に住んでいるみんなに思われるようになるのが目標ですね。

この記事を書いた人
玉城 亜良 ( Tamashiro Tsuguyoshi )
石垣市大川出身。八重山高校を卒業後、進学した大学を中退して、親戚の木工所で働く。その後石垣に戻り、うえざと木工に入社。音楽に限らず、ライブの場に足を運ぶのが好きです。人生の師匠は、鴻上尚史とジェーン・スーと中村貴子。好きなチャーハンは、麻婆炒飯。1980年6月生まれ。
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