「島にルーツがある若者たちの活躍の場を作りたい。」Uターンした石垣島で新たな生き方を実践する、橋爪千花さん。

皆さん、こんにちは!八重山ヒト大学の前盛まえもりよもぎです。今日は、インタビュー第1号として、ヒト大の立ち上げメンバーである橋爪はしづめ千花ちかさん(以下 敬称略)にお話を伺います。

 

しょっぱなからとても個人的な話で申し訳ないのですが、私にとって千花姉は、子ども時代に同じ演劇団体で活動をしていた先輩でもあり、心から憧れて尊敬していた存在なので、大人になった今、またこうして同じ目標に向かって活動できること、近くで熱量ある言葉を聞かせてもらえる日々を、しみじみ嬉しく感じています。

 

こんな風に、子ども時代の出会いや繋がりは、大人になってからの「地元への思い」にダイレクトに影響してくる要素だと思っているので、「島にはこんな素敵な大人がいるんだよ!」ということを八重山の若い世代にもっともっと伝えていけたらいいなと、改めて思います。

 

さて、それでは早速、千花姉が島に帰ってきた理由や、現在島で暮らしていて感じること、取り組んでいる活動や描いている未来について、伺っていこうと思います。

 

千花姉、よろしくお願いします!

 


 

帰ってきて地元の深刻な人手不足を知ったことが、「島と若者の架け橋になりたい」という思いに繋がった。

 

— まず、自己紹介を兼ねて簡単に今までの経歴を教えてください。

 

私はもともと石垣島の川平村の出身で、島の高校を卒業後は、大分県別府市にあるAPU(立命館アジア太平洋大学)に進学しました。その後は東京の大手芸能プロダクションと地域コンサルタントの会社に就職して経験を積み、2017年の夏に石垣島にUターンしてきた次第です。

 

— なるほど、ありがとうございます。それでは早速ですが、今の千花姉の島での暮らしがどんな感じなのかを伺ってもいいですか?これ、千花姉が島に帰ったという噂を聞いた同世代みんなが気になってることだと思うんです。

 

あはは、そうだよね。周りから見たらきっと脈絡なく突然島に帰ったように見えて、びっくりしたよね(笑)

 

今はね、実家の川平ファーム(パッションフルーツ加工専門店)を手伝いながら、フリーのライター・カメラマンとして働いていたり、個人的に委託を受けてイベントのお手伝いをさせてもらったりしてます。

 

石垣市でも、フレキシブルに現場で動ける若い人材を探していたみたいで、高校時代にお世話になった島の出版社の方が、色々な仕事をふってくれたんだ。

 

私くらいの年代で、結婚や出産などのきっかけもなしに、これといって職業が決まっていない状態で島に帰ってくる女性って珍しいからかな。今回、驚くほど色んな方面から声をかけてもらったんだよね。

 

「アクセサリー屋で働かんか」とか「カフェで働いてくれんか」とか「市の臨時職員やらんか」とか。どれも本当にありがたかったけど、同時にしみじみと島の人手不足を感じてさ。

 

移住者や短期労働者は沢山いるはずなんだけど、その人手はよそから入ってきた大きなホテルとか飲食店ばかりに回っちゃって、地元企業は深刻な人手不足なんだなと感じたよ。

 

同時に、そういった問題を解決していくために自分ができることって何だろう?とも考えてさ。

 

しばらく悩んだ結果、私が地域と若者の繋ぎ役をできたらいいじゃん!とひらめいたの。

 

あと、島の子どもたちが自分のルーツを面白がれるような学びの場を作りたいとか、同世代の若者が集まって地域の未来について対話する機会を持ちたいとか、島でも自分のやりたいことを実現できるって身をもって証明して発信したいとか、自分の中での妄想はどんどん膨らんでいってさ。

 

それならやっぱり、どっかに所属するのはやめようと思ったんだよね。

島の課題に本気で向き合おうと思った先にあったのが、自分自身の責任だけで動けるフリーランスという働き方だった。

 

— それはどうしてですか?

 

なんて言うかさ、こんな狭い島だからこそ、どこかに所属すると、利害関係やしがらみの中に入っちゃって、自由に発言することができなくなったりするから。周りに迷惑かけることを恐れて、身動きとれなくなるのが嫌だったんだよね。

 

実際、今そうやって、島で起こってる問題に対して何も言えなくなって苦しんでる人の姿を、間近で見たりもしててさ。同調圧力が強い土地の空気が、結果的に島の政治や未来に対して他人事になってしまう若者を増やしているという現実を、とても悲しいなと感じたわけさ。

 

まあ単純に、東京時代に大きな会社と小さな会社どっちも経験してみた上で、「会社勤め自体が自分の性に合ってない」と感じたのもあるんだけどね(笑)

 

これから石垣で色々活動していく上で、自分自身の責任だけで発信や行動ができる方がフットワーク軽くていいなと思ったし、良い巡り合わせも、人とのご縁も、コアな情報も、1人で動いてる方が集まってくるような気がしててさ。

 

千花姉のペットのメエシンくん

 

今こうして帰ってきてみたら、小さな島の中にも、肩書きを重んじる空気とか利害関係とかが沢山あるのを改めて感じてるんだけど、「みんながみんなそうじゃなくてもいいんだよ」「自分のやりたいこと素直にやっていいんだよ」と、私自身の生き様をもって伝えていけたらいいなと思ってるんだ。

 

もちろん会社に勤めることが悪いとかは全く思ってないけど、やりたいことがある人は、我慢せずにやる方がいいと思うんだよね。

 

最近島の同世代からは「ちーかーの働き方、いいな。かっこいいね。」と言われることが意外と多くてさ。もちろん、自分の働き方をかっこいいなんて思ったことは一度も無いし。私からしたら、CAさんも美容師も農家もOLも、みんなみんなかっこよく見えるわけ。でも、そう言われるってことは、誰でも1人で自分の好きなように働くことにちょっとの憧れがあるんだなと感じたの。「やりたいけど、やれない」って思ってるだけなのかなって。

 

私は、文章書くのも、写真撮るのも、場づくりも、音楽もイベントも、大好きなんだけど、今まさに、そんな好きなことだらけの生活を送らせてもらってるんだよね。それも、大好きな石垣島をフィールドにしてさ。

 

だから、こんな働き方をいいなって思う同世代が他にもいるなら、そんな友達たちにとっての身近な例の1つとして、私が好きな場所で好きなことして生きてるモデルになって、誰かが挑戦するためのポジティブなきっかけになれたらいいなと思ったんだ。

 

もちろん、周りから見えるキラキラしたイメージとは裏腹の、孤独やプレッシャーと戦ってる部分もあるけど、自分が選んだことだから、それも込みで楽しめるしね。

地域活性や教育に興味があった学生時代。芸プロやまちづくりの会社での就職を経て、島へのUターンを決意した理由とは?

千花姉が生まれ育った川平の海。島内でも有名な観光地です。

 

— そもそも、千花姉が島に帰ったきっかけとは何だったんですか?

 

たしか大学時代くらいから、地域に関わる仕事や、子どもの夢を応援する仕事がしたいとは思ってたよ。

 

イベントだとかエンタメだとかスポーツだとか、そう言うものに興味があったのも、地域を盛り上げる手段、子どもの可能性を引き出す手段として、いいなと思ってたからなんだよね。だから「じゃあライブの作り方や、企画のたて方、イベントの運営方法を学ばなきゃ」と思って、大学卒業後は大手の芸能プロダクションに就職したの。

 

まあ、当時も就職へのこだわりは特になかったから、卒業してすぐ旅人するんでも、アルバイトで色々経験してみるんでも何でもいいと思ってたんだけど、手っ取り早く世の中のことを知れるのが会社員かなと思ってさ。「感動だけが人の心を撃ち抜ける」というコピーを掲げてた会社に「まさにそれ!!」とビビっときて、即決したのを覚えてる。

 

私らの子ども時代はさ、ダンスも、スケボも、アートも、音楽も、島にはまだまだ文化が育ってなくて、遠い世界のものだったから、そう言うカルチャー的なもので地域を豊かにして、若者の選択肢を増やせたら楽しいだろうなって思ったんだ。

 

その頃くらいから「ああ、私はモノを作る仕事じゃなくて、コトを作ることができる人になりたいんだな」と、ぼんやり感じ始めたんだよね。

 

就活の時も、ほんと色んな業種を片っ端からやって、真っさらな状態から自分のやりたいことを探したんだけど、結局最後に行き着いたのは、そういう場所だった。

 

やっぱり自分は、子ども時代に島で演劇やってた頃から根っこは何も変わってなくて、表現することだとか、感動だとか、そういうものを作り上げていくのが好きみたい。

 

 

— その後、転職しようと思ったときはどんな思いがあったんですか?

 

新卒で入社した芸プロは、学びもとっても多かったんだけど、だんだんと自分のやりたいこととのギャップを感じ始めてさ。体調も崩してしまったし、周りの「とりあえず3年頑張ろうよ!」という言葉にも「”3年”って何の根拠やねん」とか思えてきて、「次に行こう」と退職したの。

 

その後に就職したのが、「地域を面白くする」という理念を掲げた下北沢の地域活性の会社でさ。

 

本当は、もう東京はいいかなと思ってて、全然違う地域に行くことも考えてたんだけど。ある日、自分が住んでた下北沢のことを全然知らないことにハッとしたんよね。

 

2年も住んでたのに、私はいつも終電で帰ってきて朝早く出てってたから、生きてる下北沢を全然知らなくて。せっかく縁あった場所なのに、近所に仲良しの人もいなくて、行きつけのお店もなくて、それって寂しいなと感じてさ。

 

だからとりあえず、短い期間でも下北沢でバイトなりして、次また来た時に「ただいま」って言えるような場所にしたいなと思ったんだよね。

 

それで下北沢の求人サイトを見たら、1番上に載ってたのが「まちづくり」の会社でさ。ずっと興味のあった分野だけど、今までは地域おこしってボランティアの社会活動のようなイメージがあったから、「仕事として成り立つんだ!」ってびっくりしたんだ。

 

直感的に、ここで学びたい!と感じて入社して、社長と2人だけの小さな会社で、商店街の活性化や行政と組んだイベントの企画運営なんかを、0から10まで色々経験させてもらった。

 

下北沢は小さな街だけど、魅力あるヒトやモノやコトが溢れてる場所で、芸プロとはまた全然違う世界だったよ。ローカルで働く面白さを知ったし、自立する術も教えてもらった貴重な時間だったな。

地元に帰ることは、キャリアアップするための挑戦だった。「島に帰ってくるのはステップダウン」という島の空気をひっくり返そうと思った。

 

— 島に帰ろうと思ったのは、その会社での経験があったからですか?

 

もちろんそれもあるね。でも直接のきっかけとなったのは、家族から島の人手不足問題について話を聞いた時に、なんとなく「あ、わたし今なら島に帰ってできることあるかも」って思ったことかな。

 

これまで、芸プロで場の作り方を学んで、下北沢で地域との関わり方を学んできて、そろそろ次のステップに行ってもいいかもと感じたんよ。

 

島では未だに「帰ってくる」ことに対してなんとなくマイナスイメージがあって、「夢破れた」って印象が強い気がするんだけど、私の中ではそうじゃなくて、ネクストステップへと飛び出すニュアンスが強かった。

 

ちょっとここらで1回、自分の首を絞めておこうという感覚で、帰って来たんだ。

 

— 実際 島に帰ってきてみて、描いていた仕事や暮らしへの感触はどうですか?

 

う〜ん、正直、想像以上に高いステップを踏んでしまったなとは感じてる(笑)

 

「地域に関わる」ってのを決めて帰ってきたから、なおさら大変なのかもしれないけど。なんか今、島の中がカオスな感じがしていてさ。

 

— と言うと?

 

全てにおいて、乱開発というか。別にリゾートホテル建設とかに限った話じゃなくて、土地も、文化も、人の思いも、伝統行事も、開発されてしまっているなって、感じる。

 

川平地区の景観条例改定に関して、住民代表として声を上げたときの記者会見の様子

 

でも同時に、夢が叶う島になっているなとも感じるよ。今は島の中に楽しいエンタメのお店や、自己表現できる場、クリエイターやアーティストが互いに高め合える機会なんかも、随分と増えた。買いたいものもネットですぐ買えるし、得たい情報もスマホですぐ手に入る。

 

音楽やってる高校生の子たちにしても、自分たちで発信して、イベント企画して、地域の大人も巻き込んで、素敵なライブやってたりする。私らの頃はアーティストへの道ってはるか遠くに感じたけど、いまは「住んでる場所なんか関係ない」って子どもたち自身が誰よりもよく分かってる感じがするよ。

 

それこそ、ビートボックス、ボード、ストリートダンスとかの文化もすごく豊かになって来ていて、石垣で生まれたことに対する劣等感みたいなのは子どもたちの中でかなり薄くなってるように感じるし、この流れはめっちゃいいなと思ってる。

 

ただ同時に、外の世界との隔たりが薄くなったからこそ、若者の島に対する思いが薄くなってる感じもあって。

 

この間、高校生の子たちと「いつか島に帰ってきたいと思う?」って話をしてたら、みんな「多分帰らないと思う」って言っててさ。理由は、「やりたい仕事がない」とか「わざわざ帰って来る理由がない」とか。

 

それを聞いてもちろん寂しくも感じたけど、凄くシンプルで明快な理由だなと、納得もしたんだよね。

 

私個人は、島でも楽しい夢の叶え方が沢山あると思ってるし、若い世代の力を必要としている場所が島中に沢山在ることも感じてるけど、きっとそういうことって言葉で伝えるよりも、身近な島の大人がめちゃくちゃ楽しそうに暮らして働いて遊んでるリアルな姿を見せることの方が、よりダイレクトに説得力を伴って伝わるんだろうなと思って。

 

島で面白く生きる仲間を増やすためには、まずは自分が行動するしかないなって気づいたわけさ。

八重山に、誰もがやりたいことに挑戦できる優しい土壌を育てたい。

 

そもそも、八重山は「どんどん挑戦しよう」っていう島民性ではないさあね。島での失敗が怖い理由は、私もよく分かるもん。東京で働いてた頃はミスもいっぱいしたけどさ、東京でミスするのと、島でミスするのじゃ、全然重みが違うよね。

 

島では、仕事も暮らしも家族も、色んなことが全部繋がっていて、どうしても一生切り離せないものだから。1回なにかミスしちゃったら、全部が苦しくなってしまいそうで、怖いよね。

 

でも、私がこの年齢で島に帰ってきたのにも、何か意味があるだろうと思ってて、全てベストタイミングだったんだろうなって感じてるわけさ。

 

実際、帰ってきてすぐに私の生まれ育った地区で大きな開発問題に立ち向かう機会があって、このために呼ばれたのかなと感じたし、さっき話したような長年続いてきた島の良くない文化を変えるのも、若い世代の役割だと思ってるんだよね。

 

だから、この八重山というフィールドでまずは自分が進んで実践することで「みんなもどんどん挑戦しよー!失敗してもいいからやってみよー!」っていう、優しい土壌を育てていけたらいいなと思ってる。

 

 

— 島に帰ってくるとき、周りの人には止められなかったですか?

 

ふふ(笑)色んな人から「東京離れるの勿体無いよ!」「あっちの方が夢を叶えられるのに」って何度も何度も言われたよ。

 

でも、「違うよ。私は今とっても楽しくて、自分らしく生きられていて、島に帰ってきて幸せだよ。」ってことを、胸はって言いたいなと思うの。

 

だから、これからも失敗を恐れず挑戦したい。もし私がびびってることがあったら、喝入れてね(笑)

両親が移住者で子どもの頃に「島ナイチャー」と言われたこと、そして地域の人からもらった愛が、活動の原点。

地域の運動会の様子。いつでもどこでも全力疾走!

 

— この千花姉の島に対する熱い思いって、一体どこから来てるんでしょう?

 

ん〜。1番の原点はきっと、私が内地の両親の元に生まれて島で育ったことにあると思う。

 

( ※ 内地とは、島の方言で「県外」の意味。 )

 

私は基本的に負けず嫌いだからさ。両親が移住者で、小さい頃は地域の大人たちからも「あんた島ナイチャーだね」と言われたりしたのが、めっちゃ悔しかったんだ。

 

( ※ナイチャーとは、地元ではない、県外出身者を指す言葉。島ナイチャーとは、島に住んでる県外出身者の意味。)

 

私のアイデンティティはこの島だけなのに、名字が違う、島の血が通ってない、ってだけで「ナイチャー」と言われて認めてもらえないのがとっても寂しくて。

 

だから人一倍、地域の行事も頑張ったし、島の人に認めてもらえるように色んなことに挑戦したし、伝統芸能も、歴史の勉強も、いっぱいした。もちろん、ただ純粋に、自分の素直な感覚として島が好き、というのも根っこにあるんだけどさ。

 

あとは、感謝の気持ちもあるかな。両親がこの土地で事業を始められたのも、本当に島の人のおかげでさ。もともと住んでいた地域の人がナイチャーである両親を受け入れてくれなかったら、私は島で生まれ育つことは絶対できなかったと思うんだ。

 

だから、愛をもって育ててくれたこの島に恩返しをしたいって気持ちは、今もずっとある。

 

私が帰れる場所はさ、本当にここだけなんだよね。自分を育んでくれたこの島がやっぱり1番大事で、ホームで、人生かけて守る場所だなと感じるんだよねだから、島で暮らせてる今を、幸せだなってよく思ってる。

 

 

— まだ同世代の仲間が少ない中で、がっつり島に浸って全力疾走で活動していて、しんどくなることはないですか?

 

ん〜、そうでもないよ!友達とはいくらでも繋がれるし、出張や用事で東京とかに行く機会に会いたい人とは会えるし、この島はいくらでも人が入って来る環境で、閉鎖感もないしね。

 

それよりも、島の大先輩たちから学ぶことが多すぎて、それだけで島にいる価値があるなって感じる。おじーおばーたちが話す、島の歴史のこと、文化のこと、祭りのこと、方言とかって、今この瞬間にこの場所で同じ空気の中にいなければ、二度と聞けないものでさ。

 

同世代と話すにはオンラインでもいくらでもできるけど、島の大先輩たちの言葉は今ここで直接聞くしか方法がないんだよ。そういったものに寄り添える暮らしは、自分の中で納得感が高いの。

 

この島には、教科書やスマホの画面越しでは分からないような、”本物の体験”、”リアル”、生きていく上でとっても大事な”バランス感覚”を育んでくれる環境がある気がしてるんだよね。人生を学ぶ上で、本当にいい場所だと思うんだ。

「この島生まれ、この島育ち」の同世代みんなで、大きなうねりを起こしたい。

— 千花姉がこれから島で挑戦したいことがあれば、教えてください。

 

まずはもっと若い世代と繋がりたいなー!色んな可能性を持っている若い子たちに今のうちから島の楽しい大人と沢山繋がって欲しいし、面白い未来を一緒に描いていけたらいいなと思う。

 

熱い思いを持ったパワーある子たちが、輝ける場所を見つけられずに島から離れちゃうのは、本っ当に勿体無いからさ。

 

それに、「みんなで渡れば怖くない」じゃないけど、島で好きなことしてる若者が1人でも2人でも増えていけばさ、そんな生き方が芋づる式にどんどん広がっていって、島全体がもっとよくなると思うんだ。

 

それこそが、ヒト大でやりたいことでもあるしね。

 

島の未来を語る千花姉の目は、いつも本当に綺麗で、惹きつけられる。

 

帰って来ることだけが正義ではなくて、遠くから見守ってくれる人も、年に何回か帰ってきて関わってくれる人も、島を思いながら遠い場所で活躍する人も、色々いていいと思うんだけど、

 

「この島生まれ、この島育ち」の元気な同世代が一斉にわーっと動き出したら、すごく楽しいだろうし、島の暮らしも産業も、もっと豊かになっていくと思うんだ。

 

移住者呼んだり、観光客呼んだり、短期の労働者を呼んだりは、私たちじゃなくてもできる。というか、もう既に行政や地域の事業所が取り組んでて、この島には多すぎるくらいに溢れてる。

 

でも、島にルーツのある若者たちの活躍の場って、誰が作ってくれるんだろう?って考えたら、意外とそこは誰もやってなくてさ。若者が帰ってくるときに、家族しか受け口がないのはしんどいなと思って、それなら自分たちの手で新たに作ればいいじゃんって思ったんだよね。

 

今こうして実際に島に帰ってきてみたら、島で暮らすのも、島で働くのも、すごい楽しくて、安心して「みんなもおいでよ」って言えるようになったのが嬉しくてさ。これからゆっくりでも、思いを形にしていけるのが楽しみなんだ。

 

— うんうん。千花姉が「島に帰った」って情報だけでも、私たち後輩からしたら結構ビッグニュースで、ざわついてましたもん。だからいい意味で、千花姉の島での生き方は、同世代みんなに影響力を持ってると思います。

 

そうなのかな(笑)みんながこういう生き方したらいいとかは全く思わないけど、私の姿が何かしら周りの人にいい影響を与えられたらいいなとは思ってるよ。

 

私の最終的な夢は、めっちゃかわいいばあちゃんになることでさ。地域のみんなから愛されるおばーになれるように、今は学ぶことや実践することを止めずにいたいなと思う。

 

島では熱い言葉を語ると煙たがられちゃうこともあるけど、肩の力を抜いて、まずは自分が楽しく息づくように、自然体でできることをやり続けていきたい

 

もっともっと、島と若者との架け橋になっていけるように、これからも頑張ります。

 

— ありがとうございます。それでは最後に、島の後輩たちにメッセージをお願いします。

 

 

多分ね、島で生まれたってことはさ、すごくラッキーなことだと思うの。東京で生まれるよりも、ずっっとね。

 

だから、存分に楽しんで欲しいかな。島に生まれたっていうこの人生を。

 

「島生まれだから」「田舎者だから」って、ネガティブになって欲しくなくて。この先、きっと必ず、八重山に生まれて良かったって胸をはって言えるようになる時が来るからさ、楽しみに待っててねって、伝えたいかな。

 

— ありがとうございました。きっと、島の同世代は物凄く共感しながら、この記事を読んでくれたと思います。いつも私たちの目線の先には千花姉のかっこいい背中があって、本当に頼もしく、こんな先輩がいてくれることを幸せだなと感じます。

 

皆さん、他の記事にも素敵なインタビューなど色々載ってるので、ぜひ読んでみてね〜!

 

 

 Text by 前盛よもぎ Photo by 岩倉陸磨 / 橋爪千花

 


 

 

橋爪はしづめ千花ちか

年齢|27歳(1991年生まれ)
好きな食べもの|担々麺・砂ずり
好きな映画|グランドイリュージョン
島で1番好きな場所|実家の屋根の上

この記事を書いた人
前盛 よもぎ ( Maemori Yomogi )
石垣市星野村出身。地域づくり・教育について現場で学ぼうと、早稲田大学を休学して岐阜県白川村に移住。ローカルでの生き方の多様性・働き方の選択肢を増やすことを目標に、様々な学びの場づくりを実践中。踊ること、対話することが好きです。1995年6月生まれ。
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