「自分らしい生き方も、幸せも、全部島にあったわけさ。」地元白保村で語学を活かして働く、はづきさん。

こんにちは、八重山ヒト大学の前盛まえもりよもぎです。私は4年前、高校卒業を機に上京して、現在は東京の大学を休学して岐阜県で地域づくりの仕事をしています。

 

島を出て生活するようになってから、新しいことを吸収する楽しさや、自分の世界を広げていくことの面白さを感じる一方で、今の暮らし方やこれからの人生に対する、ぼんやりとした不安や葛藤を感じることも多くなりました。

 

キラキラした憧れを胸に都会にやって来たものの、どこに居ても居場所が定まらない感覚、夢中になれるものが見つからず、自分が何者でも無いような感覚に不安になり、「早く何か見つけなきゃ」「何でもいいから周りのスピードに合わせて頑張らなきゃ」と、方向が合っているかも分からない道を、全力疾走しているような気持ちになったりもして。

 

移り変わりの激しい今の時代。

 

なんとなく”生きづらさ”が増えた世の中で、何を軸にして生きていけばいいのか。何を選べば幸せになれるのか。心豊かに暮らし働ける自分の居場所は、どこにあるのか。

 

そんな問いに対するヒントが欲しくて、私の地元の先輩でもあり、最近東京の会社を辞めて島にUターンしたはづきさん(以下 敬称略)のもとを訪ねました。

 

 

大手企業で働いていたはづき姉が、なぜ突然島に帰ってきたのか。「自分らしい働き方」についてどう考えているのか。人生に対する向き合い方や、大きな選択のときに大切にしている感覚について、伺いました。

 

ちょっと長くなってしまったのですが、心にストンと入ってくる言葉が沢山だったので、なるべく削らず、手を加えずに書いています。

 

これからの生き方を悩んでいる同世代に届けたい言葉がたくさん詰まっている記事なので、ぜひ最後まで読んでみてください。

 

 


 

立ち止まって自分の幸せについて考えたら、自然とその先に島があった。帰ることは、自分の人生への新たな挑戦。

 

—— はじめに、はづき姉が島に帰って来たきっかけについて教えてください。

 

はい。最初から説明しようと思うとちょっと時間を遡ることになっちゃうんだけど、私は高校時代から語学の勉強が好きで、島を出た後は内地の語学教育に定評のある大学に進学したんですね。

 

大学在学中は留学もして、自分の語学力に対する自信もついてきた時期だったから、学ぶのがとっても楽しかったのを覚えてるよ。

 

そこで、就職先にも得意な語学を活かせる会社を選んだんだけど、いざ入社してみたら希望してた部署には入れなくてさ。

 

月曜の朝早くから金曜の夜遅くまで働いて、寝ることだけを考えて家に帰るような生活をずーっと続けてて、日曜の夜なんか、いわゆる「サザエさん症候群」ってやつで、「あしたから仕事か〜」ってため息つくような日々だったよ。

 

でもそれが当たり前だと自分に言い聞かせて、周りの人も頑張ってるんだから「キツイなんて言っちゃいけない」って思って頑張ってたわけさ。

 

上司には「語学を活かせる部署に異動したいです」って相談もしてみたんだけど、「組織が大きいから時間がかかる。今すぐには通らないかも。」と言われて。

 

「お給料頂くんだからわがまま言っちゃダメだ」って自分を責めたし、心の声に耳を塞いでたんだよね。

 

そしたらいつの間にか疲れちゃって、ある日突然爆発しちゃった(笑)そこで初めて、このままじゃやばいなと思って、1度 自分の求める働き方についてしっかり考え直そうって思ったんだよね。

 

 

東京では、毎朝高層ビルに出勤して、1フロアに200〜300人といるような職場でひたすらパソコンと睨めっこして、夜遅くまで外に一歩も出ずに閉じこもって仕事をしてた。一息つこうと窓の外を見ても隣のビルの無機質な風景があるだけで、下に降りて外に出てみたところで周りは人工物と騒音ばかりで、息がつまったさ。

 

そんな環境で、いつ来るかもわからない未来に希望を持って楽しくもない仕事に耐え続けるのって、時間が勿体無いなって思えたんだよね。

 

そしたらちょうどそんな時に、実家の近所でレストランをやっていた知り合いから「はづき、いつもありがとうね。またお店の新しいメニューが増えたから、英訳お願いできるかな。」ってメールが来てさ。

 

その方には昔からお世話になっていて、学生時代もよく英訳のお手伝いとかしてたから、その時も仕事帰りの電車の中で疲れてたけど一生懸命英訳文を作って送ったの。それでなぜだかメールの最後にポロッと「東京の仕事きついさあ。でも頑張るよ〜」みたいな一言を添えたんだよね。

 

そしたらすぐ返事が来て、「はづき、白保に帰ってきてうちで働かない? 最近1人シェフが抜けて、スタッフ探してたんだ。」「とっても覚悟のいる選択だから、急がずゆっくり考えてくれて大丈夫だからさ。」って突然のお誘いを受けてさ。とってもびっくりしたよ。

 

「こんなタイミングあるんだ・・・!」と心が揺れて、なんとなく「これは私の人生の中で大事なタイミングになるな」ってビビッと来たんだよね。

 

 

それでも、私はとっても臆病だから、やっぱり相当悩んで。東京に残ってもうちょっと頑張ろうかとか、こんなに早く島に帰ってしまっていいのだろうかとか、何度も何度も天秤にかけて、凄く時間をかけて考えたんだよね。

 

でも、同じ環境で留まり続けるメリットと、今もらった島でのチャンスを生かして次のステップに進むメリットと、「どっちが自分が幸せかな」って考えたら、自然と島に帰る方を選んでたわけさ。

 

島に帰ったらお金がかからないからとか、楽だからとか、そういうのじゃなくて、一回外に出て働いた経験があるからこそ新しく見えるようになるもの、気づけることがあるんじゃないかなって興味もあったんだ。

 

だから、帰ると言っても「もう一生腰を据える覚悟で頑張らなきゃ」なんて気負わずに、色んな選択肢があることを忘れず、とにかく目の前のチャンスを活かすことを大事にしよう、と強く思って、帰って来たんだよね。

 

—— なるほど。疲れたから島に帰ってひと休みというニュアンスではなく、新しい挑戦、ステップアップという気持ちで、島に帰ってきたんですね。

目の前の人が喜んでくれる姿を感じられることが、何よりのやりがいだと気づいた。

 

—— 実際に帰って来てみて、もうすぐ1年。今のはづき姉の暮らしや仕事についても伺ってもいいですか?

 

はい、私は普段は白保村のレストランで働いていて、仕事が終わった後は地域の子どもたちに英語を教えています。教えていると言っても、別に塾で先生をしているわけではなくて、はじめ近所の受験生の子に頼まれて英語を教えたことから始まった小さな教室が、だんだんと広がっていった感じなんだけど。

 

家族のような感じで教え合うゆるい場だけど、これがとっても楽しいわけさ。最近は大人でも「習いたいさ〜」と声をかけてくれる人が出てきたりして、前は人に教える自信なんて無かったけど、今は「ちょっとでも人の役に立てるなら自分の能力を生かそう」って思えるようになってきたんだ。

 

お店でも、前日に来店してくれた外国のお客さんが「島で他に英語通じる人がいないから、色々聞きたくて」と翌日にまたわざわざ訪ねて来てくれたりもして。自分の力が役立つことを実感できるし、そうやって色んな国のお客さんと友達になれるのが楽しくてさ。

 

東京にいた頃は、いくら私が英語が好きでも、もっともっと上のレベルの人は沢山居るんだよね。フィールドが途方もなく広くて、「自分の能力を活かして世の中で役に立ちたい」って思っても、その環境すらつかみ取れなかったりする

 

でも島にくるとさ、そんな小さな特技が大きな武器になるし、目の前の人に喜んでもらえたりするんだよね。東京では「そんなのできて当たり前でしょ」って思われるようなことでも、ここだと「自分にしかできないこと」になるんだなって気づいたわけさ。

 

音楽でも、ダンスでも、語学でも、なんでもそうだけど、上手い人、下手な人って、ぴんきりさあ。上を見たらきりがないんだけど、でもその能力が「人の役に立つかどうか」は「その世界で1位になること」とはあまり関係がなくて。最終的には「その人がいる環境」次第なんだなと思ったんだよね。

 

だから、好きなことを仕事にしようと思うなら、自分の個性を活かせる場所を選ぶこと、得意なことを「自分にしかできない能力」にしてしまえる環境を選ぶことって、とても大事なんだと思う。

 

 

人ってさ、だれかに必要とされた時に幸せを感じられるもので、本来 仕事のやりがいもそこにあるものだと思うんだ。

 

実際、私は大きい組織で他の誰かでも替われるような仕事ばかりしていたときは「自分は必要とされてないんだな」って感じてしまったし。

 

だから、こんな温かい小さな島で生まれ育ったことは本当にラッキーでさ。自分だけの居場所を見つけやすいし、求めてくれる人がいる。これを自分で1から作るのは本当に大変なことだと思うから、本当に島に感謝なんだよ。

 

私、前の仕事のときはクライアントさんの顔も見たことなかったんだ。全部パソコンを介しての作業でさ。だから、今目の前でお客さんが喜んでくれたり、少しでも大好きな白保村への恩返しができたり、村の子どもたちの世界を広げるお手伝いができたり、単純に家族や友人が笑顔になってくれたりして、素直に嬉しかったし、やりがいがあったんだ。

 

今やってる英語教室の内容も、もっと工夫して広くオープンにやっていきたいと思っていて、1人1人に向き合えるようにマンツーマンのレッスンも充実させたいなとか、観光業をしているお店のスタッフさん向けに教室が出来たらいいなとか、国内外問わずお店に来てくれるお客さんにもっと満足してもらえるようなサービスの仕方を考えてみようとか、色々妄想してるよ

 

 

最近「私の強みは、白保出身ってことなのかもしれない」と思ってさ。いまは小学校でも英語教育が必修になってるから、義務教育の一方的な教え方とはまた違った、「語学をツールにこんなことができるようになるよ」っていう楽しいイメージを伴った学び方を、白保の先輩という立ち位置を活かして、そして自分自身の姿を通して、後輩たちに伝えていけたら良いなと思うんだ。

 

学ぶことは私の生きがいだと感じてるから、一生学びを止めず、自分のできるところからゆっくりゆっくり輪を広げていきたいなと考えてるよ。

 

—— あぁ・・、さっきからはづき姉の言ってること全部にめちゃくちゃ共感しまくっています。私は石垣にいると、学び続ける姿勢ってどうしても持ちづらくなっちゃうというか、ゆるい環境に流されてついつい思考停止になってしまいがちだから、はづき姉が1人でいっぱい考えて実践している姿を本当に凄いなと感じます。

 

いやいや、その感覚私もめっちゃ分かるよ。思考停止って、まさにかつての自分がそうだったから。だからこそ、高校時代に発展クラスに入ったことで「考える癖」みたいなのを身につけられて本当によかったなって思ってるんだ。あのときの学びがないまま大人になってたらと思うと、ぞっとするくらい(笑)

 

—— その高校時代のお話、詳しく聞きたいです。

勉強を通して、自立して生きていくための思考力を身につけた高校時代。

 

私は小学生の頃までほんと遊んでばっかで全然勉強してなかったんだけど、中学に入ってからは八重高進学を目指して一生懸命頑張ったわけさ。それで無事入学することができて、発展クラス(進学クラス)に入ったんだけど、結果としてそれが本当によかった。

 

もちろん大変な面はあったけど、語学の楽しさやコミュニケーションの楽しさを知れたのは確実に発展クラスに入ったからだし、忍耐力とか集中力、自己管理する力、タイムスケジュールを組んで実行していくやり方、目標に向かって自分に合った実現方法を確立することなど、生きていく上での大事なことを、勉強を通して教わったなと感じてるわけさ。

 

だから大学選びの時も、周りは国公立に的を絞って進学先を選んでいたけど、私は「語学のカリキュラムが豊富なところ」というのを軸に、ネームバリューなどは気にせず自分に合った場所を探すことを意識した。

 

 

私が信頼しているアーティストの兄にも「どこに行って勉強するのか」じゃなく「自分が何をどのように勉強したいのか」を大事にしろとアドバイスされたから、気になった大学のことは徹底的に中身を調べてさ。

 

結果的に私は推薦で希望する大学に行ったんだけど、センター試験はみんなと一緒に受けようと思って勉強も最後まで頑張ったから、大学に入学してすぐのテストでは英語の1番上のクラスに入れて。それが1番自分にとって自信になったし、英語力が伸びたきっかけだったんだよね。

 

—— 自分の好きなこと、得意なことを早くに見つけられて、打ち込んだ経験があるのは幸せなことですよね。

 

そう思う。私は地元の白保村が大好きなんだけど、その原点って、小さい頃からずっと八重山舞踊(郷土芸能)をやらせてもらってたことも影響してると思うんだよね。

 

 

踊りを通して、地域行事に深く関わらせてもらって、かっこいい大人の姿を沢山近くで見て「白保の先輩たちは凄いな」と自然と思うようになったし、舞台であちこち行かせてもらって色んな経験をさせてもらったから、その頃の楽しかった記憶がすごく胸に残ってるんだよね。

 

 

「芸は身を助ける」というように、私は踊りという好きなこと得意なことがあったおかげで、地域での居場所を作ってもらったし、周りの大人にも認めてもらえたから、とってもありがたかったなって思うんだ。

 

小さな幸せが、お金に変えられない大切なものだと気付けるようになった

 

—— 島に帰って来たときの村の人たちの反応はどうでしたか?

 

家族や仲良しの周りの人たちはとっても喜んでくれたよ。

 

ただ、よく知らないおばさんとか、高校の同級生とかに久しぶりに会うと「せっかく東京の良い企業で働いてたのに、なんで帰って来ちゃったの」とか「勿体無い」とか言われることはあったな。

 

心ない言葉だなと思ったし、相手のことを何も知らないのにそんなことを言えちゃうのは、思考が浅いな、と申し訳ないけど思っちゃったな。その場はさらっと「だからよ〜」って笑って流してるけどさ。

 

でもそうやって疲れて帰って来た日でも、家の二番座でバタンって寝転んでみたら、窓から綺麗な青空が見えるでしょ。なんかもうそれだけで十分で、幸せだなって思えてさ。

 

毎朝海辺を歩いて出勤して、心から尊敬できる人たちと働いて、みんなが笑顔で気持ちよく働いてるから自分も頑張りたいって自然に思えて、ここでの仕事や生活は、東京にいた頃と何もかもが違う。

 

手が空いたらお店の庭に生えてるお花を摘んできて飾ったりしてさ。体動かして汗を流して声を出して働いて、仕事が終わったら目の前に広がる綺麗な海を見て、気持ちいい風を感じて、鼻歌うたいながら帰るさね。夜中に外に出たら満天の星空があるさね。

 

 

ちょっと前まではこんな風に空を見上げる余裕もなかったから、今このちょっとした瞬間に香ってくる潮の匂いとか、風の温かさとか、本当に小さな幸せが、お金に変えられない大切なものだなって思えてさ。

 

あとやっぱり、地域の人間関係の濃さも良いなと思う。島ではどこに行っても最初に必ず「あんたどこのね?」って聞かれて、「どこどこの誰だよ」って答えて、「え〜!どこどこの誰と親戚でしょ」って話が進むさ。どこに行っても必ず繋がりがあって、大袈裟な言い方かもしれないけど、「あ〜私生きてるな」って感じるんだよね。

 

こういうのを煩わしく感じる人もいると思うんだけど、でもやっぱり人が生きてる上で、他者とのコミュニケーションって欠かせないから。

 

—— うんうん、はづき姉の暮らしの豊かさがめっちゃ伝わってきます。島での自分らしい働き方や生き方を見つけられてる20代ってまだまだ少ないと思うから、とっても素敵だなと思います。

 

—— 最後に、島の後輩たちへメッセージをお願いできますか?

 

小さな「好き」の気持ちを大切に育てること。

 

そうだな。島の子どもたちには、自分の好きなことを見つけて、それを追求して欲しいかな。

 

それはスポーツかもしれないし、音楽かもしれないし、ゲームかもしれないし、昆虫探しかもしれない。誰もやらないようなマイナーなことでも、何でもいいんだけど、将来それが仕事になるかとかお金になるかとか関係なく、「これが好き!」って思えるものを見つけて、その思いを大切にして欲しい。

 

人生の中で大事なもの、幸せになるために必要なものって、きっとそういう自分の中の小さな「好き」から生まれる気がするからさ。

 

今の時代、それこそ Youtuber みたいな、「好きなことで生きていく」っていう新しい働き方をする人が増えてきていて、「何かを我慢しながら生きるのは当たり前」とか「仕事は辛いもの」っていう認識は、もうだいぶ薄くなってきてると思うわけさ。

 

私の場合はそれが英語で、語学を通して出会った人や経験が私の人生を豊かにしてくれたから、「好きなことを学び続けることが、一番の幸せ」だと感じるようになった。

 

そんな風に、好きなものを通して、自分に自信がついたり、学びを深められたり、進化できたりする人は多いと思うから、後輩たちにも好きなことにはとことんハマってほしい!

 

まだ好きなことが見つかってない人は、どんどんどんどん、色んなことにチャレンジしてみたらいいと思う。違うなと思ったら辞めていいし、また次のことに挑戦すればいいだけだからさ。

 

 

—— ありがとうございました。

 

今回、「自分らしく生きる」ってどういうことだろう、自分に合った働き方ってどうやったら見つかるんだろう、という思いではづき姉にお話を聞かせてもらいましたが、その答えはとてもシンプルで、まずは自分自身に向き合って「好き」を丁寧に実践することから始めてみよう、と何ともあっさり腹落ちした帰り道でした

 

自分らしい暮らしは、きっと 好きを突き詰めた先にある。

 

この記事を最後まで読んでくださった方も、自分が「輝ける場所」はどこなのか、自分の「好き」は何なのか、この機会にゆっくり考えてみるのも良いかもしれません。

 

そして、次島に帰るときにはぜひ、はづき姉のすてきな笑顔に会いにお店に遊びに行ってみてください。

 

 

 Text by 前盛よもぎ Photo by 橋爪千花

 


 

 

はづきさん

年齢|26歳(1992年生まれ)

好きな食べもの |1位 納豆 2位 カレー 3位 ゆし豆腐

好きな本 |ユダヤ人大富豪の教え( 人生を変えてくれた本です )

島で好きな場所|職場

この記事を書いた人
前盛 よもぎ ( Maemori Yomogi )
石垣市星野村出身。地域づくり・教育について現場で学ぼうと、早稲田大学を休学して岐阜県白川村に移住。ローカルでの生き方の多様性・働き方の選択肢を増やすことを目標に、様々な学びの場づくりを実践中。踊ること、対話することが好きです。1995年6月生まれ。
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