「島に帰るという選択をして良かった。」“何もないこの島”で、人にも自分にも素直に生きる。大山真史さん

石垣島よりこんにちは。八重山ヒト大学の橋爪千花はしづめちかです。

 

私、“笑顔の人”って好きなんです。目が合うだけでにこって笑顔をくれる人。言葉を必要とせずに元気を分け与えてもらえる気がして。

 

今回インタビューしたのは、私が思う“笑顔の人”、高校の先輩である大山 真史おおやま ちかしさん。仕事中に時々顔を合わすことがあるのですが、その度に、あんなににこにこ笑顔で声をかけてくれるなんて、どんだけ幸せな日々を送っているんだ。と思っていました。

 

しかし、SNSでのぞいて見ると、にこにこ笑顔からはイメージできないほどストイックな一面が見られ、そのギャップに驚くことも。ギャップってますますその人を魅力的にしますよね。この魅力はどこから来るのか、話を聞いてみたいと思いました。

 

今回、快くインタビューを引き受けてくれた真史にーにー。過去と現在、そして今後の夢についても聞かせていただきました。今のままで良いのかな、やりたいことが本当はあるのにな、そんな思いを抱えている方に響く言葉が多いと思います。

 

ぜひ、最後のメッセージまで読んで、じっくり自分と向き合うきっかけになればと思います。

 


 

憧れの東京生活。目の前の「楽しい」や「興味」につま先を向け続けた。

真史にーにースマイルはまだおあずけ。

 

–− まずは、真史にーにーの簡単のプロフィールを教えてください。

 

1991年3月1日石垣生まれ。島の高校を卒業後、東京の東洋大学日本文学文化学科に進学したんだけど、3年の頃に中退して、服飾を学ぶために文化服装学院に入学。そこも中退して、1年半前くらいに石垣に帰ってきた。今は、空港にあるお土産屋さんで販売員をしています。

 

–−大学と専門学校どちらも行ったんですね!上京の理由と、日本文学から服飾ってすごい大きな進路変更の経緯を教えていただけますか?

 

高校の頃はもう目の前の楽しいことだけをしていたくて、ハンドボール部に専念した高校生活だった。そんな高校生活を終えてからの進路も、やっぱり「何になりたいか」とかよりも「今何がしたいか」「今何に興味があるか」を優先したわけさ。その結果、昔から本を読むのは好きだったから、日本文学を学ぶことに決めた。当時は”首都東京”に対する絶対的な憧れがあってさ。どうせ島の外に出るなら流行の最先端が集まる場所に行きたいなって思ったんだよね。それで、東京にある日本文学を学べる大学を探している中で東洋大学に出会った。

 

無事合格して上京したんだけど、上京とともにもともと好きだったファッションに対する思いが更に熱を帯びて、服飾を学びたい!って思うようになったわけさ。だから、3年生で東洋大学を中退して日本文化服装学院に入学。まあ、そこも1年で辞めちゃったんだけどね(笑)

 

−−確かに高校の頃って東京への憧れありますよね。そんな憧れの地での生活はどうでしたか?

 

もう、だらだら飲んで過ごしたよ。毎日毎日飲んで過ごした。一番楽しいし、一番後になって「あれ?結局何も残ってなくない?」っていう過ごし方をした(笑)

 

人と話すのが好きっていうのと、当時は介護福祉士の資格をいつかとろうって思っていたのとで、バイトは障がい者施設の介護福祉士サポートのバイトをしてた。稼いだお金は洋服と飲み会に消えていったなぁ。

 

当時の俺は、自分の将来に対してすごく漠然としていた。「夢?何それおいしいの?」って感じ。それでも、そうやっていろんな人と飲んだり話したり新たに出会ったりしていく中で、何か見つかっていけばいいなって常に思ってはいたかな。

 

もともと、周りを気にしがちな性格だったんだけど、東京に出てそうやって沢山の人と接する中で、「自分は自分」っていう気持ちがすごく強くなった。周りを気にしても仕方ないし、もし周りから何か批判されたりしても、いやこれお前の人生じゃないから。って思えるようになったかな。だから、周りが就活に動き始めてる3年生のタイミングで一人大学を中退して新たな場所に移った時も周りを気にすることはなかった。

 

「あ、俺勉強嫌いだわ」

まだまだおあずけ。

 

−−東京に出ることで自己が確立するのって、なんだかわかる気がします。二度目の中退そして東京での長い生活を終えて、石垣島へ帰ろうと思ったきっかけはなんですか?

 

長い学生生活経て最終的に気付いたんだよね。

 

「あ、俺勉強嫌いだわ」って。

 

あとは、やっぱり親の近くに居たいなって思ったんだよね。

 

実は高校3年の時、大学に合格した後に父親を亡くしたわけさ。突然だったし、島を出るのやめようかなって思った。でも、母親が諦めることないよって背中を押して島から出るのを応援してくれたんだよね。大学を中退する時も、新しい学校に行く時も、何も言わずにやりたいことを応援してくれた母親のそばに居たいなって思い始めたのも、帰ってきたきっかけかな。

 

−−なんて潔い気付き!(笑)お母様の存在も大きなきっかけですね。お話聞いてると、何か行動を起こす時や自分に変化を与える時は、割とご自身で考えてから答えを出すことが多いように感じます。

 

そうだね。自分で考えて決めたことは絶対やる!っていう感じ。だから、都度自分の決断にしたがってきた結果、大学も専門学校もやりきれてないではある。でも、そのおかげで踏んできた場数と出会った人の数はすごく多いんだろうなって自分でも思うよ。

 

そしてふるさとの島へ。「何も無い」って最高なんだって気付いた。

 

−−そして一年半前に石垣島に帰ってきたということですが、今は具体的にどんなお仕事をされてるんですか?

 

親戚のおじさんがやってるお土産屋さんで販売員をしているよ。いつも空港の売り場に勤務しているんだけど、空港はいろんな人が来るし毎日新鮮で楽しいさ。みんな目をキラキラさせてゲートから出て来るから、石垣島が好きなんだなって嬉しくなる。

 

この仕事自体が何か自分の今後に繋がっているかと聞かれれば分からないけど、いつかやりたいことがあって、そのために今はとにかくお金を貯める期間かな。

 

−−お。そのやりたいことって聞いてもいいですか?

 

もちろん。俺、「藍染」をやりたいんだよね。自分で植物を植えるところから、染めて商品化、販売まで。単純に藍染の美しさが魅力的っていうのもあるんだけど、藍染の職人さんの手って真っ青に染まるんだよね。俺、昔から手が汚れるのって好きじゃないんだけど、あの真っ青になった手には魅力を感じたんだ。

 

東京だと藍染職人や製品を作ってる人ってゴロゴロいるんだろうけど、ここ石垣島だと数えるくらいしかいない。しかも島出身者ってなるとさらに限られてくる。そういった意味では、石垣島って何かをスタートするのにとってもいい島だと思う。商品の販売に関しては、今やネット通販でいくらでもできるしね。

 

 

−−藍染をやりたいっていう思いは、東京にいる頃からあったんですか?

 

東京では無かったかな。島に帰ってくるってなって、どうせならなんとなく帰ってきて、なんとなく働いて暮らすんじゃなくて、自分のやりたいことをちゃんと見つけてやろう!って思って。そこで見つけた”夢”みたいなものかな。

 

自分がやりたいことを見つけてからは、何をすべきかがすごくわかって。しっかり貯金しながら、藍染やりたいっていう思いを会う同級生みんなに言ってまわってる。周りに言っておかないとさ、いざという時逃げ道が出来てしまうんだよね。自分のためにも、共感を得たりアイディアをもらうためにも、どんどん周りに「俺はいつか藍染やるんだ」って言ってる。

 

仕事もプライベートも島に帰ってきてからストイックになった気がする。休みの日にはジムに通ってるんだけど、それも自分が島に帰って特に運動もせず飲み食いしてぶくぶく太っちゃったら「真史、石垣に帰って太ったよね〜」って言われるさ?それがいやで。多分自分が島の外にいた時に、島にいる友達とかが太ったの見て、同じこと言ってたからかな(笑)今は東京にいた時より全然体が締まったよ。

 

–−島に帰ってくるのを決めた時は不安とかありませんでしたか?

 

あったね。なんでもある場所から何もない場所へ移るのは、故郷とはいえ不安はあった。東京の感覚に自分がハマっていたのも分かってたし。でも、帰ってきたらその何もないっていうのが最高なんだって気付いた。誘惑もないし、無駄なものがないし、苦が何一つとして無いんだよね。

 

良し悪しあるかもしれないけどトレンドも入ってこないから、変に流行を気にしながら生活する必要もない。あの時、”島に帰るっていう選択をして本当に良かった”って思うよ。

 

強いて言うなら、お金があればもっと今の人生潤うかな(笑)畑買ってハルサーから始めるよ。

(※「ハルサー」=沖縄の方言で畑で働く人という意味。)

 

−−なるほど。流行を気にしないで生活できるっていうのは、初めての表現です!面白い!

 

たまたま職場が“空港”っていう外の世界と石垣島との境目のトレンドが入り混じる空間だから、ある程度のトレンドも知れるから、それがまたいいのかも。到着ゲートから出てきた時にすごい流行のおしゃれなファッションをしているけど、帰る時にはTシャツに島ぞうりで帰っていくお客さんが多くて、それはなんだか見ていて面白いなあ〜と思う。

 

何より楽しいのは、仲間たちとの語り時。何より好きなのは、ヒト。

むしろいかつめ。

 

−–同級生とかも島に帰ってきているヒトは多いですか?

 

仲のいい同級生はほとんど島にいるかな。同級生がバーを経営していて、そこに行けば誰かしらに会える環境があって、そこではくだらない話から真面目な話まで色々盛り上がる。最近では、政治の話とかをみんなでするようになって5年前だったらこんな話は絶対してなかっただろうし、「俺たち老けたなー」って感じる。

 

そうやってみんなでこれからの話をしている時が一番楽しいんだよね。

 

−–そういった空間、良いですね。なんだか、真史にーにーからは「人が好き!」っていうオーラがすごい出てます。

 

そう。人が好きでたまらないんだよね〜。今まで出会ってきた人たちがいなかったら今の自分っていないからさ。好きすぎて最近では、酔っ払ってても名前と顔は一度で覚えれるようになった(笑)

 

人は大好きで、出会いってかけがえのないものだと思ってる。もちろん苦手な人もいるよ。でも、苦手な人がいたら、その人のいいところ一つ見つけなさいって言うじゃん。その一つで何か変わるかもしれない。嫌いや苦手だけだとせっかく出会ったのにもったいないと思う。

 

価値観とか考え方、趣味とかに関してもいろんな人と話をして、良いものは盗んだり自分もトライしてみる。自分が信じるものだけを貫き通すのもいいかもしれないけど、それだと自分の価値観止まりになっちゃうんじゃないかな、って。

 

最近、趣味の一つにカメラがあるんだけど、それもカメラマンの友達の影響なんだよね。SNSに上がってる彼の写真を見て「めっちゃいい!俺もこういう瞬間撮りたい!」って思って、とりあえず高いカメラ買ったよね(笑)その友達に「お前の写真がかっこよかったから、カメラ始める」って言ったらすごい喜んでくれてたな。

 

 

−–仲のいい友達に「かっこいい」とかってまっすぐ伝えられるのって、素敵だと思います。

 

思ったことははっきり伝えたい。言葉って言わないとわかんないし、言う時に言わないと、よりわかんないんだよね。後になって言うのと、それを感じた時に新鮮な言葉で伝えるのとでは、感じ方も変わってくる。ありがとうやごめんはもちろんだけど、綺麗とか可愛い、かっこいいとかもそう感じたのならちゃんと伝えたい。

 

小学生の時は好きな子に好きですって言えないくらいシャイだったんだけどね。そこは成長って思ってもいい部分かな。

 

さっきも言ったように周りの人に生かされてきた人生だから、目の前にいる人には思ったことは伝えてほしいし、俺も伝えたいって思うかな。この島はすぐに友達もできるし、狭いからすぐ会える。ほどよいフットワークで、いろんな人とこの島で出会って、思いを伝えて繋がっていきたい。

 

平等に与えられている“時間”の中で生きている。だからこそ・・・

 

−–最後に島の後輩たちへ何かメッセージを。

 

俺が言えるのは、やりたいことをやっていいんだよってことかな。例え周りから何か言われても、やりたいって心のどこかで思っているのなら、それが今の一番に合ってることだから。思った時にやる。人にも自分にも気を使わないこと。

 

俺は元々悩みたくない人だからさ。悩むくらいならやってみる。迷ったり悩んだりする時間は大切かもしれないけど、やっぱりもったいないしさ。

 

時間は誰かが特別長くもらえるものではなくて、みんなが平等に与えられているもの。

 

そう思ったら、やりたいと思ったことは、やりたい時にやれ。そう思うね。

 

 

−–真史にーにー、ありがとうございました。

 

自分の直感に従って何かを辞めたり何かを始めたりすることって、誰かに言われて決めるよりも勇気がいることだしエネルギーも使うと思うんですよね。そう簡単にはできない。

 

でもそれをとてもポジティブに、胸を張って「やりたいことをやる!」って言い切れる真史にーにー。紆余曲折の道に見えるけど、「自分にも人にも素直であり続ける」っていう信念はどこまでもまっすぐで、そんな真史にーにーだからこそ、周りに人は居続けるしきっと夢も叶っちゃうんだろうな、と思います。

 

最後に、思わずもったいぶってしまった、真史にーにースマイルをどうぞ。

 

Text & Photo by 橋爪千花


 

大山 真史おおやま ちかし

年齢 | 27歳(1991年生まれ)

好きな食べ物 | お肉

好きな映画 | 「サマーウォーズ」

島で1番好きな場所 | 街灯が見えなくて星が綺麗に見える場所

 

 

この記事を書いた人
橋爪 千花 ( Hashizume Chika )
石垣市川平村出身。立命館アジア太平洋大学を卒業後、芸能プロダクションと地域コンサルタントの会社で経験を積んだ後に2017年8月より石垣島に拠点を移す。島内のイベント運営やカメラマン、ライターとして活動中。1991年6月生まれ。
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