「音楽から離れずにいれば、必ずまた僕らは出会える」島の音楽シーンを盛り上げる、安馬ゼンタロウさん。

石垣島よりこんにちは。八重山ヒト大学の橋爪はしづめ千花ちかです。第三回となる”人を知る”。今回お話を聞かせていただいたのは、「cafe&bar zen」店主であり、石垣島の音楽シーンを盛り上げる安馬やすまゼンタロウさんです。

 

ゼンさんとの出会いはなんだか不思議で、イベントで何度か見かける「笑顔はじけるお兄さん」がいて。前職の芸能プロダクションの先輩に「橋爪!島に帰ったんなら、ゼンちゃんと繋がっといてや!色々お願いしたから!」と言われ、ゼンちゃん誰やねん!と思いながら過ごしていたら、ある日ふと訪れたお店の店主が「笑顔はじけるお兄さん」であり「ゼンちゃん」であったわけです。

 

知り合ってまだ1年も経っていませんが、最近では共に野外イベントの運営に携わったりと、深い関わりをもつようになったゼンさん。今回はそんな彼のこれまでや、島に対する思い、島の子どもたちへの思いを聞きました。

 

 


X JAPANは、小学1年生を紅に染めた

-ゼンさん、今日はよろしくお願いします。まずは簡単な自己紹介をお願いします。

 

よろしく!嘘なしで話させてもらいます!

1986年7月11日生まれ。にじゅう…あ、違う。早速嘘ついちゃった(笑)32歳、静岡県駿東郡出身です。石垣島に移住して約7年。「cafe&bar zen」の店主をしながら、音響の仕事やバンドのサポートメンバー、イベントのお手伝いや島の高校生の音楽活動のサポートなどをしています。

 

 

-ありがとうございます!(笑)お仕事内容もそうなんですが、お店もたくさんの楽器やレコードがあったり、とにかくゼンさん=音楽という印象があります。ゼンさんの音楽との出会いを教えてください。

 

俺には五つ離れた大好きな兄貴がいて、いっつも兄貴にくっついてたんだよね。それこそ金魚の糞。で、俺が小1の時なんだけど、当時兄ちゃんはX JAPANにどハマりしてて、毎日X JAPANが流れてる兄ちゃんの部屋に行ってた俺は、小1で紅に染まっちゃったわけ。(笑)2人でバンドごっこしたりとか、兄ちゃんの影響でX JAPANやGLAYに憧れる生活を送ってた。

 

そんな状態で思春期迎えた頃には、そんな憧れが「バンドを組めば女子にモテる!」っていう発想になり。中2の頃に初めてバンドを組んで、親の手伝いで貯めたお小遣いで39,800円のドラムセット買ってさ。今思えばそんな金額のドラムセットっておもちゃみたいなもんなんだけど、当時は本当に嬉しくて、父ちゃんの会社の会議室で毎週末友達と練習したんだよね。

 

まぁ、それで女子にモテたかモテなかったかは、ご想像にお任せします・・・。苦笑

 

バンドを組むと、なんの理由もなく「俺はプロミュージシャンになるんだ!」って思って、音楽番組に出た時にちゃんと受け答えができるようになるために、当時の音楽番組は全部録画した。タモリさんがどういう質問するのかとか、ダウンタウンの浜ちゃんに突っ込まれるにはどうすればいいのかとか、”ネタをしこんでた”。

 

-中学生の頃から、そんな熱量があったんですね。これと決めたら、徹底的に集中して取り組むタイプですか?

 

そうだねー。毎日スティック振ってたな。ドラム教室にも通ったけど、講師の先生が女子だけ贔屓するのが凄い嫌になって、1ヶ月くらいでやめて独学にシフトしたよ。

 

握れない左手が、俺には音楽しかないと気付かせてくれた

 

 

そんな今からドラムを楽しんでいこうっていう中2の冬休み。スキー旅行で事故にあっちゃって左手のほとんどの指を粉砕骨折してしまってさ。お医者さんに、もうドラムはできないスティックも握れないって言われて。とてもショックで悔しかったんだよね。でも、それが俺の中の何かに火をつけて。リハビリっていう少しの希望にかけて、怪我をした日から1日も欠かさずリハビリに行ったんだよね。

 

-1日も欠かさず、ですか!

 

そう。だから俺中学校の修学旅行行ってないんだよね。修学旅行って3泊4日くらいじゃん?その間リハビリできないのが嫌で。どのイベントも休んで、リハビリに行った。思い出よりもプロミュージシャンになるっていう夢をとったんだよね。

 

結果、中指以外は動くようになったさ。ただ、リハビリに毎日行ってたから、学力や出席日数が全然足りなくて、高校進学の時にいける高校が限られちゃって。その時に、こんなに痛い思いして毎日を捧げてきたのはなんのためだっけって思い返して、「あぁ、俺には音楽しかないんだ。」って気づけたんだよね。

 

それで、親にお願いして中学卒業後は渋谷にあった高卒の資格も取れる音楽専門学校に進学した。そこで、師匠と呼べるような先生に出会ったんだよね。ちなみに、15歳で上京するときに母親がレシピBOOKを渡してくれてさ。そのときのメニューのひとつがcafe&bar zenで提供している「おでん」なんだ。この店のおでんは母ちゃんの味。

 

 

-なるほど!なんでおでんなんだろうって、ずっと思ってたんです。そんな素敵なストーリーがあったんですね。

 

「ナイチャーの出す酒は飲まん!」って泡盛ひっくり返されたよ

-そもそも、ゼンさんと石垣島との出会いは?

 

俺、さっきも言った通り中学校の修学旅行は行けなくて。音楽専門学校で初めて修学旅行に行って、とにかく楽しくてたまらなかったんだよね。その旅行先が石垣島だったわけ。

 

専門学校卒業してもその修学旅行の思い出が忘れられなくて、何か落ち込むことがあったりしたら、修学旅行のDVD見返したりしてさ。同時に石垣島も大好きな場所になって、アルバイトしながら一年に一度は遊びに来てたよ。特に何かをするわけんじゃなくて、のんびりと過ごしにね。

 

-初めから思い入れがある島なんですね!そんな石垣島への移住のきっかけはなんですか?

 

高校卒業後は東京でアルバイトと一応メジャーデビューもしてバンド活動をしていたんだけど、バンドの活動休止、事務所とも契約が切れた時に、自分自身も落ち込んでしまったりしてさ。東京でも地元でもない大好きな石垣島に住んでみようと思った。その前もバンド活動で行き詰まった時に数ヶ月石垣島に滞在したこともあったんだけどね。音楽はこりごりだったんだけど、もしまた音楽したくなったら東京戻ればいっか、っていうノリだった。

 

- 移住したばかりでの苦労などはありましたか?

 

新規オープンのライブハウスの店長を任せてもらえた時があったんだけど、その時は”石垣島の洗礼”を受けたように感じたなぁ。オープンしてもいないのに悪い噂が出るんだよ?びっくりした。「何か新しいライブハウス作ろうとしてるらしい」「聞いた話だと今度できるライブハウスは・・・」ってさ。狭い島だから、どこにいってもなんか足の引っ張り合いって感じで。せめてオープンした翌日とかにさ、「あのライブハウスこうだったよ。」ならまだしも。まだ内装工事しかしてないのに、悪い噂がたつってなんだよ!って思った(笑)名刺もって挨拶しに行ったら、名刺投げ返されたりとかもしたなぁ。

 

あとはやっぱり「ナイチャー(県外の人のこと)」っていう扱いも、今はそうでもなくなったけど当時は本当にしんどかった。「ナイチャーの出す酒は飲まん!」って泡盛ひっくり返されたこともあって。当時は、本音言うと「はぁ?この田舎もんが!」って思ってた。でも、今7年も島に住んでみて気づいたのは、確かに島のイメージが崩れるような事件や事故を起こすのは、内地の人が多いな〜ってこと。住んでみて、ナイチャーって思わず一括りにして嫌悪してしまう人がいるのも、なんだかわかるようになったかも。今なら、当時泡盛ひっくり返したおじいに「おじい、ナイチャーがごめんね。」って謝れるかも。

 

休日も友人を招いてパーティーを開くなど、いつでも人に関わるようにしているそうです。

 

-どうしても、外から入って来たヒト、コトやモノに対して最初はアレルギー反応が出てしまうことありますよね。そんな大変な思いをしながらも、移住してもう7年も経つということですが、地域の人のゼンさんへの目が変わったきっかけはなんですか。

 

ある日、島の高校生が「ライブをしたいんですけど」ってライブハウスに来たんだ。そこから、俺がやってるライブハウスを拠点に学生の音楽活動のサポートをするようになった。学生のライブ企画を手伝ったりすることで、高校生たちとの関わりが増えていってさ。俺のライブハウスが、子どもたちがのびのびと音楽をして、また三高校の交流の場になったりして、すごくいいサイクルがうまれたんだよね。涙あり笑いありのいろんなドラマがあって、本来ライブハウスは夜間営業なんだけど、高校生が利用する時は昼からライブハウスについて色々教えてあげたりしたよ。

 

音楽のことだけじゃなくても、1人の大人として子ども達にはいろんなことを見せていきたいと思ってる。面倒見てあげた子は毎年卒業のタイミングにお祝いも込めて焼肉に連れて行ったり、卒業した子たちがお店にきてくれることもあるよ。

 

赤の他人に愛される回数が増えていく人生を送りなさい

 

-そこまで熱く子どもたちと向き合おうと思うのはなぜですか?

 

専門学校での師匠や、東京で共に活動していた先輩が共通していつも俺に言ってたんだよね。「次の世代のことを考えろ」って。俺が師匠や先輩にいつか恩返ししたいっていうと、「俺はいいから、後輩にやってあげて」っていつも言われてた。だから、俺は子どもたちと向き合おうとしているっていうよりも、尊敬する2人の言葉を実行しているっていう感覚かな。

 

-なるほど〜。とても素敵な考えを持ったお二方の背中を見続けて居たんですね。

 

うん。俺はとっても可愛がって愛してもらったと思うんだよね。だから、俺は子どもたちを愛する。皆が皆そうじゃないけれども、ほとんどの人が家族や身近な人からは愛されるのは当たり前で。そうじゃない”赤の他人”に愛される回数が増えていく人生じゃないといけないって思ってるわけさ。

 

その愛され方は色々あってさ、例えばバイトの先輩が「なんだ金ねーのか。おごってやるよ。」ってのも愛されてる証だと思うし。そういう意味では俺、多分たっくさん愛されてきててさ。島の高校生にもたっくさん愛されてほしいわけ。

 

同時に回数重ねれば重ねるほど、人は忘れていく生き物だとも思っているから、これまで関わってきた子どもたちが他の人に愛されれば愛されるほど、「安馬ゼンタロウ」に愛されたことなんて忘れちゃうと思う。でも、俺のことは忘れてもいいんだよね。その代わり、俺のこと忘れちまうくらい多くの人に愛されなさい。それだけあなたは魅力的な人間なんだよって、俺の姿で見せていきたい。

 

あと、子どもたちにはいつも「どんなことがあっても音楽はやめないで」と伝えてる。俺は事故にあって手を怪我したり、プロミュージシャンの道も諦めたりとか、いろんなことがあったけど「音楽が好き」っていう思いだけはずっとあって、「音楽に触れる」ことはやめなかった。だからこそ、この島に出会えたし、島の高校生たちに出会えた。だから、例えプロミュージシャンにならなくても、仕事が忙しくても、音楽を離れないでほしい。ふとした時に、歌を口ずさんで、時には楽器を手にして、ゆっくり音楽を聴く時間を忘れないでほしい。そうすれば、必ずまた僕らは出会えるよ、ってね。

 

-例えば5年後、ゼンさんは島の音楽シーンがどのようになっているのを想像しますか?

俺、夢があって。それが5年後に叶えられるかどうかってのはわからないんだけど、”純粋に子どもたちが音楽をできる健全なライブハウス”を作りたいんだよね。とくに親御さんたちとかからすると、ライブハウスってちょっと危険だったり不健全なイメージがありがち。要はライブハウスが”大人のもの”になっちゃってると思うんだよね。

 

こういう話をすると「俺らの時はな、ギターとアンプを持って公園に行ったんだぞ!」って話す人も多いけど・・・今、そんなのやったら、すぐに苦情くるさ!その「俺らの時」よりも、今はモノと一緒にルールもモラルも増えてるわけで。だから、それを今の時代を生きる子どもたちに押し付けたくない。

 

だから俺は今石垣島に無い、中高生がのびのびと安心して音楽を楽しめるようなライブハウスを作りたいんだよね。それで、BEGINや夏川りみ、きいやま商店のあとを追うような島出身ミュージシャンが生まれればいいなって思う。cafe&bar zenはそれまでのつなぎっていう感じかな。

 

cafe&bar zen では駄菓子が食べ放題

-そういえば、cafe&bar zen が駄菓子食べ放題、ゲームし放題の理由って?

 

俺が駄菓子好きだから(笑)あとは石垣島ってアクティビティがないじゃん?カラオケ、ダーツ、酒くらい?俺は音楽があるからいいけど、それがない人も世の中にはいて。だから、この店がちっちゃいゲームセンター的なアクティビティになればいいなって。だから、駄菓子を食べ放題にして自分で選ばせたり、ファミコンとか昔ながらのテレビゲームがあったり、コーヒーも自分で挽けるようにしてる。

 

お酒を飲む時って、過去を語るか未来を語るかのどちらかのグループに分かれるんだけど、うちは圧倒的に昔話に花を咲かせる人が多い。だからあえて駄菓子とかファミコンとか懐かしいものを揃えて「うわー!これやったよねー!」って懐かしんでほしい。

 

-確かに、未来語るより過去語る方が、自分の自信というか肯定感を得られるかも。

 

そうなんだよね。今の自分に自信がない人って多いからさ。過去の武勇伝を思い出してもらって、自信をもって翌朝を迎えてほしい。そんな場所になればいいなって思ってるよ。あとは、卒業していった子どもたちが帰ってきた時に立ち寄る”港”代わりのようなものになればいいな。

 

 

-最後に、島の後輩たちにメッセージをお願いします。

ん〜、伝えたいことか・・・俺が伝えたいことって、多分もう後輩たちは全て感覚として得ていると思うんだよね。まぁ、強いて言うなら、ありのまま思った通りに正直に生きて。もし何かやりたいことがあるなら俺に言いなさい。俺が環境つくるから。一度きりの人生だからこそ、悔いがないようにやりたいことをして、地域貢献もできるような大人になってほしい、それだけかな。

 

俺は、子どもたちよりも大人へ伝えたいことが多い。もうちょっと見てあげて、子どもたちのこと、ってさ。島の子どもたちは大人が思っているほど子どもじゃない。もうちょっと子どもたちがのびのび生きれるような環境を作ってあげようよ。俺が俺が、じゃなくて次の世代を育ててあげようよって俺は大人にいいたい。

 

俺は先ゆく先輩にも後ろをついてくる後輩たちにも行動で示すよ

 

-ゼンさん、ありがとうございました。15歳から地元を離れいろんな経験をしながらもベースには「音楽が好き」「次世代のために」という2本の線が強く紡ぎ続けられている。そんな軸のぶれないゼンさんの石垣島に対する熱い思いは、出身者の私もいつも刺激を受けています。

県外から移住してきた「ナイチャー」のゼンさんは、自分の地元かどうかなんて関係なく一歩一歩石垣島と歩む日々を送っています。そんな、島を思い根付いていく移住者がスパイスを与えていく石垣島の音楽シーンの今後が楽しみです。

 

 

Text / Photo by 橋爪千花

 


 

安馬やすま ゼンタロウさん

年齢 | 32歳(1986年生まれ)

好きな食べ物 |豚汁

好きな映画 |ワンピース

島で好きな場所|島内のお祭りやイベント会場

この記事を書いた人
橋爪 千花 ( Hashizume Chika )
石垣市川平村出身。立命館アジア太平洋大学を卒業後、芸能プロダクションと地域コンサルタントの会社で経験を積んだ後に2017年8月より石垣島に拠点を移す。島内のイベント運営やカメラマン、ライターとして活動中。1991年6月生まれ。
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