「時間って実はすごく短い。」移住10年。編集者として八重山を発信し続ける、笹本真純さん

石垣島より、橋爪千花はしづめ ちかがお届けです。

今回取材させていただいたのは、11年前に石垣島に移住されてから、編集・ライターとして島と関わる笹本真純ささもと ますみさんです。

 

真純さんとは、当時高校生だった私の取材をしていただいたのをきっかけに、島を離れてからもSNSで繋がって時々やりとりをしたり、時々島に帰省した時はばったり再会したりと、ずっと切れない不思議なご縁で。一昨年の夏に私が島にUターンしてからは、幾度にわたり執筆の機会などを提供してもらったり、そのご縁がもっと濃いものになりました。

 

お仕事のこと、島での生活でのこと、遡って島との出会いなど…八重山と密着しながらお仕事もプライベートも楽しんでいるように見える真純さんに聞きたかったことを、やっと取材を通して聞くことができました。

 


21歳。日曜のミサで見た光景が、「伝えたい」の気持ちを強くした。

 

−−まず、簡単な自己紹介をお願いします。

 

出身は茨城県。今は、島の情報誌を中心に雑誌やウェブサイトなどで編集・ライターをしています。「書く」っていう分野で活動する人が島には少ないから、いろんな仕事の声がかかるのがありがたい。

2008年に石垣島に移住して今年で丸々11年が経ちました。

 

 

−−石垣島移住までの簡単な経緯を教えてもらえますか?

 

地元の高校卒業後に上京して、武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)で英語を学び、大学卒業後はアルバイトで編集のアシスタントをしてたよ。その後正社員として働いたのちに、退職して2008年に石垣島へ移住してきた。

 

 

–社会人のはじめから、編集のお仕事をされているんですね。

 

そう、ずっと雑誌に関わる仕事をしてるね。中学生の頃から雑誌を読むのが好きで、編集という仕事に興味があったんだけど、当時は現実的に考えていたわけではなかったんだよね。将来の夢として掲げていたわけでもなければ、高校や大学でその職業を目指して進路を選んだわけでもなかった。

 

大学3年の就職活動の時期は特にやりたいことが決まっていなくて。そういうやりたい事が明確じゃない状態で、髪を黒くしてスーツを着てっていう周りの就活スタイルに染まりたくないな、と感じたんだよね。だからみんなが就活をしている中、一人で1ヶ月間ヨーロッパで旅をしたりしてた。

 

雑誌の世界へ足を踏み入れるきっかけとしては、大学4年の9月に行ったNY旅行かな。その時にハーレムで日曜日のミサを見学させてもらったんだけど、そこで見た子どもから大人までがゴスペルを歌う様子と、毎週おしゃれに着飾って教会へ集まる人々の習慣に心から感動してさ。その時に、「こういう世界をもっといろんな人に見せたい。人に伝えたい。」と感じたのと、写真撮りたいと思ったんだけど撮影禁止で。例えば私がカメラマンやライターだったら、そういう場所でも写真が撮れるんだろうな、と思ったの。もともと写真を撮ることが好きで、映像よりも写真を通して何かを伝えたいという気持ちがあったことが、“雑誌”っていう世界につながった。

 

 

−−そのハーレムでの経験から、どのようにして雑誌の世界へ?

“雑誌”の世界に飛び込もうと決めた時は、既に大学4年生だから新卒枠はどこも締め切られてたの。だから、新卒枠とかは考えずにとにかく編集に携われる仕事を探した結果、編集アシスタントのアルバイトを募集していた編集プロダクションに出会って、そこで雇ってもらったんだ。

 

この時に、編集のアシスタントを通してイチからしっかり学べたのは今でも強み。もし、普通に新卒で大手の出版社に入社できたとしても、もしかしたら編集じゃない部署に配属されていた可能性もあるでしょ。だから、大卒でアルバイトとはいえ、“編集アシスタント”っていう関わり方を選んだ自分の選択は間違ってなかったなって思う。

 

初めて編集の世界に足を踏み入れて、すさまじい忙しさを目の当たりにしたけど、それでも編集ができるようになりたいと思ったんだよね。1年くらいアシスタントをして2年目からは正社員としてティーン向けファッション誌の編集をさせてもらって、忙しかったけどとにかく仕事が楽しくて仕方がなかった。

 

そして、すごく楽しかったからこそ、身体が悲鳴をあげる事にも気付かずに働いてしまって、案の定体を壊しちゃったんだよね。それがきっかけで、その編集プロダクションを退社したの。

 

 

そして、石垣島へ。

 

−−私も仕事が楽しくて気がついたら身体がおかしくなっちゃってた経験、あります。東京での編集のお仕事を辞めた後、石垣島移住のきっかけは?

 

仕事を辞めてから、ちょっとゆっくり旅にでようと思って八重山にきたんだ。もともと沖縄は好きで、八重山も何度か訪れたことはあったんだけど、この時は「八重山に長く滞在したい」って思って、3週間っていう長期間かけて、じっくり歩き回った。西表島では集落をくまなく一泊ずつ泊まったりした。

 

人の生活の気配や生活空間に触れられる場所を歩くのが好きで、今でも旅行先では観光地だけじゃなくて住宅地やマーケットを歩くことが多いの。この3週間の旅でも、石垣島の人の暮らしや生活に触れることができて、駆け足じゃないゆったりと流れる時間の流れを感じたりして、3週間が経つ頃には「住みたい」って感じるようになっていた。

 

それで、じゃあ石垣島で何をして働こうかと考えた時に思い浮かんだのが、その旅行中に使っていたガイドブックの出版社。旅行の終わり頃には「求人募集していますか?」という電話をかけていた。

 

社員の募集はしていなかったみたいだけれど、とりあえず会っておこうかということで、上司と喫茶店でお話しをさせてもらった。

 

旅を終えて東京に戻ってすぐは連絡がなくて、元々募集をしていたわけじゃないし、雇ってもらえないかなと思っていたけど、旅行から戻って1ヶ月程経った11月頃に「いつから来れる?」と電話がかかってきた。それで、2ヶ月の間に引っ越しなどの準備を終え、年明けすぐに石垣島へ移住したんだ。

 

 

−−すごいテンポでの移住決断ですが、大学生の頃から長年住んだ東京という都会での生活から島での生活へシフトすることへの不安はありましたか?

 

東京を離れることに悔いや不安は無かったんだけど・・・・石垣へ渡る前日に友達の家に泊めてもらって、そのまま空港まで送ってくれたんだよね。その友達とバイバイしたら、なんだか涙が止まらなくなっちゃってさ。飛行機の中でもひたすら泣いてたよ。

 

その時初めて、こんなに大好きな人たちがいる東京を離れて良かったのかな。って思ったんだと思う。東京という場所への思いというよりも、東京で出会った人たちへの思いが溢れたね。

 

ただ、そんな涙のフライトの先にたどり着いたのは南国石垣島なわけでさ。1月の寒い東京から飛行機に乗って、降り立ったら25度くらいの暖かい石垣島でしょ?もともと暑いところ、暖かいところが好きなのもあるけど、あまりの気温の違いにテンションが上がっちゃって。飛行機降りたらもう寂しさなんて吹っ飛んだのを覚えてる。

 

 

取材を通して、地域に根ざす。

 

−−そこから石垣島での生活が始まるわけですが、東京の出版社から南の島の出版社へ転職して、ギャップなどはありましたか?

 

東京ではティーン向けのファッション誌を担当していたので、モデルさんの撮影に立ち会ったり、アパレル店の取材をしたりなどしていたのに対して、石垣島での仕事は内容が地域に関してのことだから、取材対象者がとても身近なんだよね。ほとんど知り合いが居ない移住生活をスタートした私にとって、仕事での取材を通して島の人と片っ端から知り合いになっていく感覚がすごく楽しかった。

 

もちろん、時間的なゆるさだったり「○時に取材に行きますね」と段取りして取材に行くと相手が不在なんてこともあったり、東京の仕事現場では起こり得なかったこともこの島では起きたりするけれど、やりづらさとかはなくて。仕事を始めた時もそういうことが起きると「これが島か〜」って感じたのを覚えてる。このゆるさがいいんだろうなって思えた。

 

島の外から移住してきた私が取材に行って「最近引っ越してきたんです。」というと、たくさんの人がプライベートでも仲良くしてくれたり、飲みに行こうと誘ってくれたりしたんだよね。特集記事だと取材対象者と何度も顔合わせをしてやりとりをしながら記事を作り上げていくから、相手のこともたくさん知れるしより深い仲になれたんだと思う。

 

初めは雑誌の取材がきっかけで知り合った人たちと、今では家族みたいな仲になってるの人までいるのは不思議。

 

 

−−10年以上もずっとひとつの仕事を続けるって、なかなか大変なことだと思うんですけど、そこまで続けられた理由はずばり?

 

やっぱり、毎月取材先が変わって新鮮に思えるからかな。あと毎回出来上がったものを読むと、「もっとこうすればよかった」っていう反省点が出てくるんだよね。だから、翌月も翌月もって頑張ってこれたんだと思う。

 

あと、以前友達とフリーペーパーをつくろうって話が出た時があって、その時に「真純はすでに雑誌で色々やっているけど、フリーペーパーを通して他にも表現したいことあるの?」って聞かれてさ。考えてみたら、やっぱり地域と関わって地域について発信することなのかもしれないなって、思って。単純にそうやって人や地域と繋がっていけるのが好きなんだと思う。

 

 

−−島外の媒体からもお仕事依頼が来るそうですが、島の編集・ライターとして島の外に向けて“島について書く”時に責任を感じたりすることはありますか?

 

島外からの依頼に関しては、観光の人向けの雑誌やサイトの記事が多いからそこまで深く地域のことについて書くことが少ないんだよね。だから、実は島外からの仕事よりも島内向けに記事を書く時の方が責任とかは感じるものがあるんだよね。

 

例えば、私がその人に対してしてあげれることって、その記事や特集でその人についてを発信することだけだから、そう考えると、この魅力も伝えたい、あの考えも伝えたいっていうのが溢れてくるんだよね。しかも、相手は身近な地域の人だったりするから尚更。取材される人も記事の読み手も、この小さな島の中にいるからよくも悪くも反応はダイレクトにくるしね。誰もそこまで期待していないかもしれないけど、変なプレッシャーを感じることがあるかな。

 

 

−−真純さんが書く記事がなんだか本当にその取材対象者の声を聞いてるみたいに感じる時があるのは、それくらい思いを込めてるからなんだろうな〜とわかった気がします。そんな強い思いを持ちながらたくさんの記事を書いてこられたと思うんですが、これまでに自分が書いた記事で特に周りからの反響が多かったり印象に残っている記事はありますか?

 

反響と言っていいかわからないけど、取材をさせてもらった当人だけじゃなく、その親戚や集落の人々から「ありがとうね。」と言われたりした時とかは、誰かのためになるような発信をできたのかなって思う。

 

あと、数年前に西表島からパナリ(新城島)へ船で毎日郵便配達をしているおじいを紹介してもらって取材した時なんだけど。おじいは取材した2年後くらいに亡くなってしまったのだけれど、亡くなる少し前だったかな、会社に内地に住むそのおじいの親戚の方から電話がきて、

 

「おじいの人生を残してくれてありがとう」と言われたのはすごく印象に残ってる。

 

 

自然を感じながら生きる豊かさ。

 

−−日々島の人や事、物と向き合うお仕事をされている真純さんから見て、石垣島の魅力を教えてください。

 

海も山も、自然が近くにあること。

 

あとは、知り合いにどこでも会える、街の規模感。これは石垣島に移住を決めた10年以上も前から変わらずに感じてる魅力かな。

 

知り合いから野菜だとか魚だとかをもらったりすることも、この島の素敵なところだと思う。自分が食べるものを作った人や獲った人の顔が見えるのってあんまり都会ではないんだよね。

 

海の幸山の幸などの物理的な豊かさもそうだけど、島の人が自然を感じて生きている。それってすごく豊かなことだと思う。

 

ちょっと文化的なことでいうと、旧暦に沿って暮らしていることも魅力だと思う。東京では旧暦って?くらいだったけど、ここではお盆や行事ごとは旧暦で進んでいくでしょ。先人たちが自然に寄り添いながら過ごした時間の進み方が残っているのはすごく素敵な文化だと思う。

 

 

−−逆に今の石垣島に求める事とか、もっとこうなればいいなって感じることはありますか?

 

これ以上栄えなくてもいいと思うなぁっていうのは本音かな。自然や伝統をもっと大事にしたいししてほしい。赤瓦の家屋などがどんどん壊されてそこにアパートが建つのも、もちろんしょうがないことだとは思んだけど、もっとそういう昔からあるものをもっと大事にしていった方がいいと思う。

 

お土産やさんが立ち並ぶような観光エリアでも、もっと島らしさを生かした道や施設がさらに実現できればいいなと思うね。

 

 

もっと伝えたい島の魅力がある。

 

真純さんが撮影したキューバの街並み。

 

−−以前、真純さんにキューバ旅行の時の写真を見せてもらったのですが、海外旅行はどれくらいの頻度で行くんですか?

 

年に一回は行けるようにしてる。行ったことないところに行きたい、見たことのないものを見たいって思うんだよね。だから、行きたいところが尽きないの。行く先々で必ず訪れるようにしている場所はマーケットとスーパーで、その土地の生活が見えてくるのが好き。住宅街の散歩も大好き石垣島にもこれがあったらいいな〜って思うような発見もあるしね。

 

こちらはミャンマーでの一枚。

 

−−例えばどんなものが石垣島にもあればいいな〜と思いますか?

 

石垣島にもあったらいいな〜って一番思うのは、マレーシアとかにあるような屋台街。夏の間だけでもいいしね。

 

街の作り方や見せ方はすごく勉強になる。今の石垣島は、“らしさ”を見せれているかと考えると、まだまだいろんな島の見せ方があるんじゃないかと感じるんだよね。例えば景観づくりに関しても、東南アジアの国々へ行くと、生えている植物は石垣島とほぼ同じなのに、その植物たちを使った景観づくりのユニークさが全然違うの。石垣島ではただ生えているだけで意識もされていないような植物たちを、他の国ではその地を訪れた人たちを楽しませる要素の一部にできていると思うの。

 

あとは、その土地の生活感が海外だと面白みになっているよね。観光客が集まるビーチ沿いでスケボーとかランニングしてる地域の人がいたり、仕事終わりに海見ながらビール飲んでたりとか、そこで暮らしている人が「楽しく生活している」風景を見えるところが多くある印象。でも、石垣島ではそこに住む人が「働いてる姿」は見れても「暮らしてる姿」が見えづらく、かけ離れているイメージがある。そういった等身大の島の人の過ごし方を見せるというのも、島の良さを伝えるひとつの手段だと思うな。

 

まだまだ魅せきれてない伝えきれてない石垣島の魅力が沢山あるから、もっと魅せたいなと思う。

 

 

できるなら、これからもずっと、この島で。

 

−−お仕事に関して、そして石垣島に対して聞かせてもらったのですが、改めて2008年に移住してから、10年。この10年を振り返ってみていかがですか?

 

あっという間だったな〜。本当に。

 

はじめは2、3年楽しく暮らして島を満喫したら帰るんじゃないかなって思ってたんだけど、気づいたらもう10年以上も経ってて本当にびっくり。ついこの前まで「移住してまだ1年です」と言っていた気がするけど、今じゃ「移住してもう10年になるんです」と挨拶しているでしょ。周りの友人たちも「え!もう10年経ったの!」と驚く人たちが多いよ。

 

10年前、この島に移住を決めた自分には一言「正解だったよ。」と言ってあげたい。

 

これからも、地域に寄り添った情報発信をしていきたいし、できるなら、ずっと、この島で生活していきたいな。

 

 

−−最後に島の後輩たちへメッセージを

 

この11年、本当に一瞬だったんだよね。20代だったはずなのに、気がついたら30代になっていて、きっとすぐ40代がくる。月日の流れは止まってくれない、を実感してる。

 

そんな中で、やっぱり悩んでいる人とかが周りにいるのを見ると、ただ好きなことをやっていれば、その先にちゃんと繋がった未来があるよーって思う。

 

雑誌の編集をやるって決めた時に、周りから「その自信どこからくるの?笑」って言われるくらい、自分には絶対できるって自信があってさ。でも、結局今こうして編集としての自分がいて。結局、好きだとかやりたいっていうことが一番なんだなと思う。

 

時間って実は、すごく短くてあっという間に過ぎてしまうものだからさ、もし何かで迷っているのであれば、自分がやりたい方に突き進んで欲しいな。

 

 

−−真純さん、ありがとうございました。

 

真純さんは見せる笑顔も発する声も、選ぶ言葉までもが優しさに包まれています。そんな真純さんに好きになってもらって、住んでもらって、「その地域の人」になってもらえてる石垣島はすごく幸せなんじゃないかと思ってしまうくらい。大袈裟かもしれないけれど、本当にそう感じてしまうんです。

 

私自身、いくつかの地域で暮らしてきて「時間と関わり方がその人をその地域の人にする」ということをここ数年強く感じています。真純さんはまさにそれを体現されている方だなと、今回の取材を通して再認識できました。

 

ここから10年後、そしてそのさらに10年後。

 

変わらず真純さんの「また10年経っちゃった〜早いよ〜」という優しい声を、この島で聞きたいな。という私の思いをそっと添えて。最後まで読んでくれてありがとうございました!

 

Text by 橋爪千花 / Photo by 笹本真純、橋爪千花


 

笹本真純ささもと ますみ

年齢 | 38歳(1981年生まれ)

好きな食べ物 | 東南アジア料理

好きな本 | ゆめみるハワイ / よしもとばなな

島で1番好きな場所 |森のなか

 

この記事を書いた人
橋爪 千花 ( Hashizume Chika )
石垣市川平村出身。立命館アジア太平洋大学を卒業後、芸能プロダクションと地域コンサルタントの会社で経験を積んだ後に2017年8月より石垣島に拠点を移す。島内のイベント運営やカメラマン、ライターとして活動中。1991年6月生まれ。
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