「これがしたいよりも、これしかない。」島に戻り、カメラマンという新たな道を歩み始めた、豊里裕さん。

石垣島よりこんにちは。八重山ヒト大学の橋爪千花はしづめ ちかです。

 

今回取材をさせていただいたのは、石垣島のフォトスタジオでカメラマンをされている豊里裕とよさと ゆたかさん。

 

私は、写真が趣味ということもあり、同じ島に住んでいる人がどのような目線で島の写真を撮るのか、身近なカメラマンにはどんな方がいるのかを知りたくて、Instagram上で#石垣島 とよくリサーチをします。

 

そんな中で思わず「めっちゃいい!」と目が止まったのがゆたかにーにーのアカウントでした。青い海の写真よりも、人やもの中心の写真が多い印象。しかも、写っている人がどれも自然体で私の”好き”に見事にマッチする写真ばかり。

 

「島出身で歳も近くて、こんな素敵な写真を撮る方がいるのか」と、とても興味を持っていました。

 

そんな中、ヒト大学の活動を通してある方へインタビューをしました。3つ前の記事で掲載させていただいた、大山真史おおやま ちかしさんです。インタビューの中で、真史さんが「友達の写真を見て感動して、自分もカメラを始めた」というお話をしてくださいました。そのお友達というのが、なんと私がいつもInstagramで写真を見ていた豊里裕とよさと ゆたかさんだったのです。

 

カメラマンとして、ウェディングや子どもたちの写真を日々撮影するゆたかにーにー。今回は高校生時代まで遡り、高校生活の思い出やその後の進学、就職についてのお話。そして、昨年島へUターンするまでの経緯やUターンしてからの今のお仕事について。そしてそして、今後のビジョンについてたっぷりと聞かせていただきました。

 

「島に帰りたいけど、どこか帰りづらい」

今この記事を読む方の中に、こんなことを感じている人がいれば、裕にーにーの言葉たちはきっとそんな人の背中を押す、ひとつのエネルギーになるんじゃないかなと思います。

 


 

3ヶ月間、体育の授業以外は団地で寝てた。

 

−−まずは、簡単なプロフィールを教えてください。

 

生まれも育ちも白保。スポーツ推薦で八重山商工に行って、卒業後は愛知県の専門学校へ。島の外で数年働いて、昨年島に帰ってきました。今は、島内のフォトスタジオでカメラマンとして働いています。

 

 

−−高校生の頃はどんな高校生でしたか?

 

野球のスポーツ推薦で入学したから、最初はとにかく野球の日々。高校1年で甲子園に行かせてもらった。

 

でも、甲子園から帰ってきてから練習に行かなくなった。昔から野球には自信があったんだけど・・・なんか嫌になっちゃったんだよね。

 

高校生になってみんな楽しんでいる中、なんで俺は坊主なんだ!って当時の俺は思っちゃってさ。

 

でも、スポーツ推薦で入学してるからさ。部活やめたっていうことは高校もやめないといけないのかなと思って、校長先生に聞きに行ったりした(笑)

 

結局、野球部を辞めたあとは陸上をちょこっとやって、最終的にはソフト部に入部した。3年間ずっとスポーツしてたね。一度だけ、高校を辞めようと思った時があってさ。学校には行かずに、学校の近くの団地の集会場みたいなところで毎日寝てたんだよね。なんでか分からないんだけど、すごく居心地が良くて。朝家出て、団地行って寝て、昼に友達がお昼食べにきて、午後からまた寝る、みたいな。その時も、唯一体育の授業だけは行ってた。3ヶ月団地通いをして卒業もう無理だなと思ってたけど、なんとか卒業できたよ。

 

 

社会に出て気付いた、身近な人の優しさ。

 

−−団地で毎日寝るってなかなか無いですよね。高校は無事卒業されたということですが、その後の進路は?

 

高校卒業後は愛知県の建築専門学校に。昔から“自分の家を設計したい”っていう夢がなんとなくあってさ。造りたいよりも、考えたいってちっちゃい頃から思ってた。結局今は違う道を歩んでるけどね。3年コースだったんだけど、2年間バイトと遊びに力注ぎすぎて3年目ですごい苦労した。

 

専門学校卒業後は、スーパーゼネコンで電気関係の仕事に就いた。仕事の内容はすごく幅広くて、1番規模が小さい作業だとホンダの工場の蛍光灯の交換とか。大きくなると、大手の会社に省エネ導入プランの提示とか。そういうのを通して社会人としていろんことを学んだ。取引先とかで厳しい言葉を言われることもあってすごく厳しい世界だったけど、身近な人たちに救われてたな。

 

社会に出て、今までずっと周囲の人にめぐまれてきたんだって気付いた。

 

野球部をやめた時も、先輩や同期が優しく接してくれたし、毎日団地に通って高校をやめようとしていた時も、友達や先生のサポートがあったし。専門学校の時も試験を2回受けなかったら除籍っていうシステムだったんだけど、バイトしすぎて試験2回遅刻しちゃって。その時も、特別に嘆願書書いたら考えてくれるって先生が助け舟出してくれて。会社でも周りの人に恵まれた。

 

いつも身近なところで手を差し伸べてくれる人がいてくれて、ありがたいなと思う。

 

 

気軽に帰って来ちゃいけない、と思ってた。

 

−−島に戻ってくるきっかけはなんですか?

 

何度か転職をして、島に戻る直前まで働いていたのが三重県で建築現場の管理をする仕事。現場の職長をしたんだけど、これがなかなか大変だった。全然休めないし、平気で現場に来ない作業員とかもいるし、そもそも40代50代の作業員の方達が25歳の若造についてこない。あとは単純に仕事量が多くてさ。

 

そんな追われる毎日に疲れ果てて、逃げ出したくなった。かといって、やめて新しい仕事を探すのもなんだか嫌で。去年のちょうど今頃だね。精神的にだいぶ追い込まれてて、その時初めて島に帰りたいなって思ったんだよね。

 

で、ちょうど次の現場に入る前で1週間くらい休みがとれたから、島に帰って来たんだよね。そしたら実家で「そんなに嫌だったら帰って来たら?」って言われて。その時に仕事をやめて島に帰ろうって決めた。

 

 

−−元々、島に帰りたいっていう思いはあった?

 

いや、むしろ自分は島には帰らないだろうなって思ってた。でも、親に帰って来たら?って言われた時は、すごい嬉しかったな。

 

その言葉を言われるまで、島へは気軽に帰っちゃいけないような気がしてたから。島を出ていった人が抱える責任というかさ。何かを成し遂げないと帰っちゃいけないって俺は勝手に思ってたし、きっと他にもそう思ってる人って少なくはないんじゃないかな。

 

自分の中でやめようって決めてからは結構スピーディーで。次の現場に入ってしまったらやめるタイミング逃しちゃうから、3日ぐらいで逃げるようにやめたね。体調も崩してたしね。

 

 

カメラを職に、そして一番そばで支えてくれる人

本人提供)裕にーにーが、これまで撮影した中でも特にお気に入りという一枚。

 

−−島に戻って来て、カメラマンという仕事との出会いは?

 

実は、カメラをちゃんと触り始めたのはまだここ2、3年くらい。最初はスマホでブツ撮りをするのが好きなのから始まった。自分のカメラをちゃんと買ってからは、撮影した写真をInstagramに投稿するようになってさ。そこから、撮影依頼をもらうことが増えたんだよね。七五三撮ってくださいとか、イベントのカメラマンしてくださいとか。あとはカメラマンの方から「この日代わりに撮影に行ってもらえませんか?」とか。建築現場で働きながら休みの日は撮影に出たりしてたんだけど、あくまで趣味の範囲だった。

 

それで、島に帰ってくることが決まって、次何しようかなって考えてる時に、いとこの結婚式でカメラマンしてくれた人が石垣島からひきあげるから後任のカメラマンを探しているっていう話を、いとこがしていたのを思い出してさ。

 

もともと、建築関係の仕事を何度か転職する中で、カメラの世界への転職も考えたことはあったんだけど。趣味だから楽しいんだろうなって仕事にすることは諦めてる自分がいたんだよね。仕事にして嫌いになるのが怖くてさ。

 

でもそんな嫌いになる怖さ以上に、俺にはもうこれ(カメラ)しか無いって感じたんだよね。

 

心身ともに落ち込んでて、その場からとにかく逃げたかったからさ。「次」に対するモチベーションがなかった。そうなったら、これがしたいよりもこれしかできないっていう選択肢しかなかった。そういう気持ちで入ったから今の仕事は簡単にやめれないんだよね。

 

 

本人提供)裕にーにーが撮る彼女さんの姿は、どれも素敵。

 

−−私、実は裕にーにーのことは知り合う前から知っていて、Instagramで「素敵な写真。。」ってよく拝見してたんです。裕にーにーのアカウントでいつも写真に写っている方は彼女さんですよね。いつもすごく自然体で見入っちゃいます。

 

写真撮る時に大切にしていることでもあるんだけど、決め打ちのハイチーズの表情じゃなくて、自然な表情を撮るようにしてる。自然に出る表情って、本人はあまり見たことないかもしれないけど、一番魅力的な表情だと思うから。仕事の撮影でも、一瞬一瞬油断した時に見せる自然な表情を撮るように意識してる。

 

彼女とは三重県で働いていた時から付き合っていて、一緒に島に来てくれた。自分が一番落ち込んでいる時に「島に帰りたいなら帰っていいと思うよ。何しててもついていくよ。」って言ってくれてさ。味方が居ないって感じていた時に、一番身近で味方で居続けてくれたんだよね。

 

本当に、感謝してます、めちゃめちゃ。

 

一文でもいいから、彼女への感謝の気持ち、書いといて。とちょっと照れ臭そう。

 

−−そんな素敵な彼女さんに支えてもらいながら始まった、島でのカメラマンのお仕事。いざ挑戦してみての感想を聞かせてください。

 

今いるスタジオは、ウェディングだけじゃなくて子どもたちの七五三とか100日とかの撮影もするんだけどさ。スタジオに初めて出勤した時に、「プルルル」ってできる?って言われて。

 

「は?」みたいな(笑)

 

要は赤ちゃんの顔をレンズに向けるためにやることなんだけどさ。「プルルル」と「はーいこっち向いてごらーん」って、最初の1週間それしかやらせてもらえなくて。入って1週間でやめようかなって思った(笑)でも、さっき言ったようにすぐやめるわけにはいかなかったし。あの1週間があったからこそ今はバリバリで赤ちゃんを笑顔にできるよ。

 

今はウェディングと子どもたちの撮影、あとはたまにファミリーフォトとか。撮影現場は多くて1日3本。挙式、披露宴、ロケっていうのが3つ重なる日もある。今、島ではフォトウェディングがとってもさかんだからね。撮影ない日は編集作業をしてる。

 

仕事はとにかく楽しいっすね!みんな幸せそうだからさ。気がついたらカメラマンはじめて1年経ったねー。

 

 

ファインダーを通して人の人生に寄り添う

 

−−確かにお話聞いてるだけでもすごく楽しそう。実際にお仕事をしていて一番喜びを感じる時ってどんな時ですか?

 

ウェディングだけじゃなく、ファミリーフォトや何かの記念撮影、ブツ撮りでも、とにかく写真はお客さんがダイレクトに喜んでいる反応が見える。その反応を見た時が一番喜びを感じる時かな。

 

前の建築の仕事では、どれだけ汗水流しても、完成した建物を見てお客さんがどんな反応するかっていうところまでは見れなかったから。きっとお客さんは喜んでくれていたんだろうけど、そこには立ち会えなかった。でも、今は、撮った写真をリアルタイムで見せてあげれるし、目の前で喜ぶ姿を見れるんだよね。

 

時々あるんだけど、撮影プランとしてはデータ渡しだけだったお客さんが、撮影中に撮った写真を見せると「やっぱりアルバム作成もお願いしようかな・・・」と言ってくれる時がある。別にアルバムを買ってくれるのが嬉しいわけじゃなくて、決して安くはないサービスを追加してまで、自分が撮った写真を形として残したいと思ってくれる人がいる。それが嬉しい。

 

 

−−確かに、自分の写真で相手に笑顔になってもらえるのは、この上なく嬉しいですよね!この1年たくさんの撮影をしてきたと思うんですが、特に印象に残っている撮影はどんな撮影ですか?

 

んー・・・どれも思い入れあるし、一枚一枚にそのお客さまとの思い出があるんだけど。強いて言うなら。

 

今年、20歳同士の結婚式の撮影があって。実はその子達の成人式の写真も1月に撮ってたんだよね。それで「成人式の写真が良かったから、結婚式もお願いしたいです。」って言ってくれてさ。それはなんか嬉しかったな。しかも、今度お子さんが産まれるみたいで、それもまた撮って欲しいって言ってくれてる。

 

あと、たまにいるんだけど、マタニティフォトを撮影したお客様が、無事お子さんが産まれてからファミリーフォトを撮りに来たり、とかね。

 

あの時撮ってもらった写真が良かったから、またお願いしたい。って、カメラマンとして誰かの人生を見守らせてもらえるのは、感動の連続だよ。

 

 

人生に残る一枚を撮りたい。

 

−−カメラマンとしての独立は考えていますか?

 

考えてます。30歳までには独立したいな。やっぱりウェディングカメラマンとして目指すべきところって、“和装のつくり(型もの写真のポージングのこと)”なんだよね。綺麗に広がりがある。あれを美しく撮れないとスタジオに入った意味がないって思っているから・・・独立前までには納得いく撮影ができるようにしたい。

 

もちろん独立したら、ウェディングだけじゃなくてなんでも撮りたい。人でも物でもなんでも。三重県では商品の撮影もしていたから、そういうのもしたい。

 

別に石垣島に固執するわけではないけど、拠点はこの島に置きたいなって思ってる。やっぱり石垣島が地元で良かったなって帰って来て思ったし。生きてるんだってまた実感出来たのは、島に帰って来たからなんだよね。俺を必要としてくれる人がいるんだなぁ、ってさ。地元のこの島で何かしたいっていう思いは自然と芽生えてるかも。

 

あとは、島出身のフォトグラファーってあまり居ないから、強みになると思うんだよね。でも、かといって“島出身”だけを強みにはしたくない。ちゃんと流行やスキルも伴った上じゃないとやりたいとは思わない。

 

 

−−カメラマン豊里裕としての、今後の目標を教えていただけますか?

 

今一番の目標として掲げているのは、「その人の人生に残る一枚を撮る」ということ。

 

カメラマンを始めた当初、色々アドバイスしてもらっていた方からメッセージをもらったことがあってね。最近、それを読み返す機会があったんだよね。そのメッセージをもらった時は、その人が何を言っているのか、何を俺に伝えたいのかっていうのがすぐには分からなかったんだけど、経験積んだ今改めて読んでみると、すごく沢山のことを考えさせられた。そこからうまれてきた目標がこれかな。

 

時代に流されない普遍的な一枚、その人の人生に残る一枚を撮りたい。

 

 

本人提供)今でも忘れられないというサンセットでの撮影の一枚。

 

−−最後に、島の後輩たちへメッセージを。

 

高校卒業で島を離れた時は、「こんな島一生帰ってこない」って思ってた。でも、数年経って島に帰ってきて、島の良さにすごく気づいたんだよね。高校生の頃はどこに行っても知り合いがいたりするのが窮屈でたまらなかったけど、今はその窮屈さが安心を与えてくれる時すらある。

 

この島に生まれたことって、誇りに思っていいんだよね。

 

ずっと島に居るから今更島の外に出れないとか、逆に島の外に出ちゃったから簡単に帰って来づらいとか、色んな人がいると思う。島に対する想いとかって、ほとんどの人が漠然だと思う。

 

でも、どんな人でも誇れる島があるっていうことを忘れないで欲しいなって思うね。

 

−−裕にーにー、ありがとうございました!

 

裕にーにーが去年石垣島へ戻って来たのも、今のカメラマンというお仕事をしているのも、なんだか様々な航海を経て「たどり着いた」という印象がすごくあります。だからこそ、本当に楽しそうにお仕事をされたり島で暮らしているんだろうな。

 

島に出る時に感じる責任、簡単に島に帰って来ちゃいけないもしくはずっと島にいちゃいけないというようなプレッシャー、それらを感じている人は、本当に多いと思う。もちろん、それに従うなというわけではなく、気にするなというわけでもなく。

 

もし、それを感じたりしてしまっていても、いつか居るべき場所にたどり着くだろうし、出会うべき人に出会えるから、大丈夫だよ。と、なんだか優しい気持ちになれるインタビューでした。

 

いつか私も人生の大切な時が来たら、裕にーにーに撮ってもらおうっと。

 

Text by 橋爪千花   Photo by 豊里裕、橋爪千花


 

豊里 裕とよさと ゆたか

年齢 | 28歳(1990年生まれ)

好きな食べ物 | 麻婆豆腐

好きな映画 | 「マジックアワー」

島で1番好きな場所 | 実家の縁側、lino coffee

この記事を書いた人
橋爪 千花 ( Hashizume Chika )
石垣市川平村出身。立命館アジア太平洋大学を卒業後、芸能プロダクションと地域コンサルタントの会社で経験を積んだ後に2017年8月より石垣島に拠点を移す。島内のイベント運営やカメラマン、ライターとして活動中。1991年6月生まれ。
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